tag:blogger.com,1999:blog-2171014641795240132.post1909037648431244773..comments2023-07-11T12:22:24.197+09:00Comments on ウラハイ = 裏「週刊俳句」: 〔ためしがき〕 もう一度、「発句」と言いはじめるために 福田若之Unknownnoreply@blogger.comBlogger1125tag:blogger.com,1999:blog-2171014641795240132.post-28792294589657018832015-11-21T10:40:29.611+09:002015-11-21T10:40:29.611+09:00《「発句」という語は、「俳句」よりも、一句になにか別のものが連なっていくという事態に対して寛容である...《「発句」という語は、「俳句」よりも、一句になにか別のものが連なっていくという事態に対して寛容である。》というご意見、そうなのでしょうか。<br />私は捌き人として脇を付けることが多いのですが、発句って、顔としてしゃんとしてないといけない、俳句よりもずっと不自由な役割のものだとずっと思っていました。切れ字という鎧を身にまとい、脇以下から切れて矢面に立つ発句。<br />たまに聞く「最近の俳句には立句の風格がない」みたいな話、それはしゃんとした発句への追慕でしょう?三島ゆかりnoreply@blogger.com