2017年5月31日水曜日

●水曜日の一句〔安井浩司〕関悦史


関悦史









燃え果てるまで藁人形に籠るひと  安井浩司


藁人形といえば丑の刻参りに用いられる、他人を呪殺するためのそれがまず思い浮かぶが、副葬品や厄除けとして使われるものもある。

ちなみに作者、安井浩司が住む秋田には「鹿島様」と呼ばれる巨大な藁人形があり、これは村の中の悪疫を負わせて河や海に流したり、地域によっては燃やすところもあるらしい。この句のように、中に人が籠れるとなればかなりの大きさで、五寸釘を打ちつける呪具としての藁人形よりは、「鹿島様」のようなものを思い浮かべたほうが適当か。

しかしこの句はもちろん実際の行事をそのまま詠んだものではないのだし、発想のもとにそうした風習があったということを確認することさえ不要とも考えられる。この句で藁人形に籠っている人は、民俗的慣習として、共同体の了解のもとに籠っているというよりは、荒々しいまでに静謐で孤独な単独者ぶりをあらわにして、燃え盛る藁人形に自発的に籠っているように見えるからだ。

ただの人ではなく、燃やされ、追い払われる悪疫そのものを「ひと」と感じたとも取れる。その「ひと」の存在を感じとってしまった語り手も、やや追い払われる側に引き寄せられ気味のようだ。語り手は火を止めるでもなく、あるいは逆に積極的に火の手をかきたてて「ひと」を追い払うでもなく、ただ凝然とその焼失に立ち合うのみである。感情としては、悲しみとも満足ともつかないものが一句を満たす。

おそらくその感情は、句を構成する言葉を手探りで探りあて、組み上げていった結果としてあらわれたものであり、初めからそういうものを描き出すべく書かれた句では、これはない。燃え果てるまで藁人形に籠るひととは、そのようにして句の成立とともに見出された「ひと」であり、その「ひと」は藁人形のなかだけではなく、句を作っては送り出す工程そのもののなかにも籠っている。その意味でこの句は、句作という行為自体を詠んだパフォーマティヴな句でもあり、批評性に富んだ句といえるのだが、それにしてもそうしてここに現れた自己犠牲じみた「ひと」の形象の、なんと深く情動的であることか。


句集『烏律律』(2017.6 沖積舎)所収。

2017年5月30日火曜日

〔ためしがき〕 隠棲のレッスン 福田若之

〔ためしがき〕
隠棲のレッスン

福田若之


たとえば、ほんの一日二日、メールを返すのをやめてみる。そうするだけで、ずいぶんと気が楽になり、どんなメールにも返信が書ける気がしてくる。

レッスンとしての隠棲は、別に必ずしも全面的なことではなく、また、長期的なことでもない。ある場からすっといなくなってみることが、精神的な安定のために必要になることがある。

場というのは必ずしも地理的なことだけではなく、話題の磁場のようなものの場合もある。すこし考えごとのあるとき、けれど、ずっと悩んでいては気が滅入ってしまうとき――要するに、自分の歩調の確認が必要になるとき――、僕はそうした磁場から離れた疑似的な隠棲の状態に入る。

疲れたときは、ぐーすか眠ることだ。隠棲のレッスンは、睡眠による体調管理に似ている。

重要なのは、気が重くならない範囲で、隠棲を自分でしっかりと管理することだ。 そうしないと、隠棲は怠惰に変わってしまう。これは、おそらく、長期的で全面的な、要するに本格的な隠棲についてもいえることだろう。たとえば、大作を書くための隠棲は、ただ引きこもって時間をつくるだけでは、とてもその目的を達成することはできないだろう。隠棲が成果をあげるためには、そこでひとつの身体がたえず生き生きとしているのでなければならない。要するに、隠棲もまたある種の活動なのであって、しかも、実のところ、かなりの活動なのだ。

だから、隠棲のレッスンのさなかにあっても、いまの僕には、ためしがきを欠かすことはできない。

2017/5/28

2017年5月29日月曜日

●月曜日の一句〔長谷川晃〕相子智恵



相子智恵






玉葱の薄皮ほどの今朝の夢  長谷川 晃

句集『蝶を追ふ』(2017.05 邑書林)より

玉葱が夏の季語であることで、この句の背景が夏の朝であるとの連想が働く。夏の夜明けは早い。目が覚めて、まだ眠れるな…と二度寝した時に見た夢が〈今朝の夢〉だと想像される。

〈玉葱の薄皮ほどの〉によって、その短さ、儚さが質感として伝わってくる。薄いヴェールのような夢だ。夢の内容は思い出せないけれど、何か夢を見ていたことだけは覚えている……後にはそんな感覚しか残らないくらいのぼんやりとした夢なのだろう。

〈玉葱の薄皮ほどの〉が〈今朝の夢〉につながることの意外性と、それがすっと詩になったときの静かな快さ。

儚く寂しい、けれどもほの明るい朝の夢である。

2017年5月28日日曜日

●新幹線

新幹線

新幹線待つ春愁のカツカレー  吉田汀史

頬かぶり新幹線にて解きにけり  和田耕三郎

みかん置く新幹線の小さき卓  齋藤朝比古〔*〕


〔*〕『豆の木』第21号(2017年5月5日)より。

2017年5月26日金曜日

●金曜日の川柳〔柏原幻四郎〕樋口由紀子



樋口由紀子






人を焼く炉に番号が打ってある

柏原幻四郎 (かしはら・げんしろう) 1933~2013

言われてみて、はっとした。確かに火葬場の炉には生前の名前ではなく、番号が表示されている。何番のところに来てくださいと係りの人は言う。「炉に番号が打ってある」というだけで、とやかくは言ってないが、人と番号の見えなかった関係性を気付かせる。物を入れるコインロッカーのようである。しかし、そこには死んだとはいえ、人がいる。

柏原はよみうり時事川柳の選者で、「川柳瓦版の会」の代表であった。共通番号(マイナンバー)制度を政府は導入した。国民一人一人に12桁の番号が与えられ、ついに生きているうちにも番号が付けられてしまった。行政の効率化、国民の利便性の向上のためだというが、人はますます管理され、モノ扱いされる。共謀罪法案が衆議院を通過した。このような現状を柏原ならどう詠むだろうか、私も声をあげなくてはと思う。〈われもまた中流なれば貧しきよ〉〈人の世の重い電話が不意に鳴る〉〈霊柩車の屋根に此の世の雨が降る〉〈銭の音 人はやさしい顔にする〉

2017年5月24日水曜日

●水曜日の一句〔山口昭男〕関悦史


関悦史









一本の線より破れゆく熟柿  山口昭男


エロティックなようでもあり、不穏なようでもあり、何かが開示される啓示的瞬間のようでもある。

熟柿といえば〈いちまいの皮の包める熟柿かな 野見山朱鳥〉のように、破れやすさをはらみつつも、全き姿のままに描かれる句が多い気がする。食べられたり鳥につつかれたりしている場面を詠んだ句をべつにすれば、みずから破れていく局面を掬った熟柿の句というのは、案外少ないのではないか。

その破れも、この句では一本の「罅」や「裂け目」ではなく、一本の「線」からはじまり、広がってゆく。三次元の具体物に走る裂け目というよりは、それを絵に描くときの二次元的に抽象化の度合いを上げた認識法が、具体物たる熟柿にじかに貼りついているのである。その抽象化がはさまっているからこそ、逆に「熟柿」の物体としての存在感が際立ってくる。

物と認識のはざまを高速で揺れ動きながら、熟れきったゆえに自壊してゆく熟柿は、現前と絵画的な再表象の境目で引き裂かれてゆきながら、そのこと自体を深く愉しんでいるようで、在ること自体の恐怖と快楽が、あまり観念化されることなく、静かに、しかし激しく句に書きとめられている。


句集『木簡』(2017.5 青磁社)所収。

2017年5月23日火曜日

〔ためしがき〕 滑って転んじゃった話 福田若之

〔ためしがき〕
滑って転んじゃった話

福田若之


「有馬朗人氏に反対する」について書くなら、要するに、公衆の前で滑って転んじゃった、ということなのだろう。ほんとうに、それだけの話だ(だっせーっ)。

ただ、何がどう滑って転んじゃったのかということについては、他のひとたちの話を見聞きしていると、どうも見方が違っているようなので、ちょっと書いておくことにした。

  ●

僕が、何をとちったと自分で思っているのかというと、政治的な意見表明をうまくできなかったということではなく、むしろその逆で、柳本々々さんが「個人の感想」と呼ぶものの側に踏みとどまることができなかったということだ。

要するに、一歩踏みとどまるつもりだったはずのところで、変に足を踏み出してしまったものだから、おっ、おっと、おっとっと、と、滑って転んじゃったわけだ。これは、ほんとうに、それだけの話でしかないと僕は思う。

そう、僕が書かずにはいられなかったもの、書いておきたかったものは、出来事や状況に対する僕の「個人の感想」であって、政治的な意見や立場ではなかった(ただし、ここで言う「感想」は、決して、傍観者のものではありえないことに注意してほしい。逆に、政治的な意見や立場は、必ずしもそうではない)。その意味では、「有馬朗人氏に反対する」という題目を掲げてしまったときに、僕のしくじりは決定的なものになってしまったといえる。

  ●

だから、小津夜景さんは「福田若之「有馬朗人に反対する 俳句の無形文化遺産登録へ向けた動きをめぐって」について思ったこと。」(夜景さんのブログ記事のタイトルでは、このとおり、「有馬朗人氏」の「氏」が抜けて呼び捨てになっている)に、僕の文章について「あまりに等身大の〈僕〉が好んで演出されている」と書いているけれど、むしろ、僕のしたかったことは、はじめからそっちにあったと言っていい。「個人の感想」が書きたくて書いていたのだから、それは、「演出」というよりも、むしろ、自然にそうなっていたわけだ。

夜景さんは、僕の書いたものの最後の一文について、「周囲に対して有害な、ひどい学級会臭がある。去勢の匂い、と言ってもいい」とも書いている。これもまったくそのとおりで、「学級会臭」というのが何なのかというと、おそらく、それはきっと幼い政治の臭い、失敗を決定づけられた政治の萌芽の臭いだ。それは、「個人の感想」がそれとしてありつづけることができずに、去勢されてしまった匂いでもあるだろう。

だから、僕もまた、夜景さんのように、「……について思ったこと。」 と題して切り出しておけばよかったのかもしれない。どうして「個人の感想」の側に踏みとどまれなかったのか、それは「不安」のせいだったと思う。今回についていえば、なんだかとんでもないことが公共性をまとった俳句の定義になろうとしていて、でも、それについて誰も大きなアクションを起こしそうには見えない、というこの出来事と状況とに対する「不安」だ。「不安」が祟ると、「個人の感想」は中途半端に政治的になってしまう。 こころぼそいと、「個人の感想」は群れようとしてしまう(だから、個々人の感想のそれぞれが充分な大きさを獲得することなく発散されてしまっているように見えることについて批判的に書いたのも、協会を抜けるというアクションを起こしていた四ッ谷龍さんについては追記して、そもそも協会に入っていない西原天気さんについては何ら追記しなかったのも、結局は、ひとえに僕個人のこの「不安」に関わってのことだったと今にして思う。そりゃ、たしかに「大笑い」だ)。それは、あるいは「自然詩」としての「俳句」という定義づけに公共性を与えようとする有馬さんのこころにも、実のところ、かなり似たものかもしれない。

  ●

ついでに書いてしまうと、僕は「俳句を無形文化遺産にすること」についての話がしたかったわけではなかった。書きたかったのは、むしろ、「俳句を、ある公共性のもとで、「五・七・五の有季定型」を「基本」とする「自然詩」とみなしていこうとする動き」についての「個人の感想」だった。この状況下では、両者が決して無関係ではありえないことがややこしいのだけれども。

ちなみに、有馬さんは、たしかに、他の機会に、俳句の題材が「人間だけ」の場合もある、という趣旨のことを発言している。でも、そこで「人間」と呼ばれているのは、あくまでも「自然」との「共生」を前提ないしは目的化された「人間」なので、結局はぜんぶ「自然詩」に回収されてしまう。有馬さんは「俳句」とは「自然詩」であるということにいっさいの例外を認めていない、と僕が指摘したのは、そういう意味でのことだ。

そして、現状において僕が危惧するのは、俳句ユネスコ無形文化遺産登録推進協議会をその発信源とした、上述の定義の蔓延だ。

たとえば、俳句ユネスコ無形文化遺産登録推進協議会には、設立の段階ですでに松山市が加盟している。そしたら、たとえば、松山市が共催している俳句甲子園は、きっと、これからすこしずつ「五・七・五の有季定型」を「基本」とする「自然詩」の大会になっていくのだろう。無季の句が含まれる作品には新人賞を与えないという俳人協会の方針も、この動きによって、いっそう覆しにくくなったんじゃないだろうか(だって、そこで簡単に有季も無季も関係ないってことにしちゃったら、組織の見解として矛盾をきたすことになるから)。

僕の見方では、そうした変化や膠着の果てに俳句が無形文化遺産になるかならないかは、予想されるさまざまな変化や膠着そのものに比べれば、現段階では、まだほとんど重要ではない。そして、もし今後、現状の方針のもとで俳句が無形文化遺産になることが現実味を帯びることがあるとしたら、それは、もはや、ユネスコの客観的な判断のもとでさえ、俳句が実質的に「五・七・五の有季定型」を「基本」とする「自然詩」であるということについて疑いの余地がなくなってしまったということなのだから、そのときには、もう、実際にそれが無形文化遺産に登録されるかどうかは問題ではないだろう。だから、僕の関心は、さしあたり、「無形文化遺産」という題目そのものよりは、むしろ、その前段階において生じることが予想されるもろもろの事態のほうにある。

  ●

とはいえ、夜景さんが僕の記事のコメント欄に書いた要約(「俳句の魅力がきちんと定義される(例えば「自己同一化をすり抜ける詩的容器」とか?)ならば無形文化遺産に登録してもよい」)は、夜景さんが引用している本文に照らしあわせても、ちょっと見過ごしてはおけないかたちで誤読されていると思うので、それについては、ここで説明しておく。

まず、僕が「定義」を問題にしているのは、「俳句の魅力」ではなく、「俳句」そのものだ。そして、「「俳句」という名は、意味しない」という一文は、「俳句」が「きちんと定義される[……]ならば」、という議論の前提自体がそもそも成立しえないということを言っている。「意味しない」のだから、「きちんと」した「定義」なんてものがそもそもありえない。

だから、僕としては、ここは、「俳句がきちんと定義されるなんてことはそもそもありえないのだから、すくなくとも登録のためになんらかの定義が必要とされる限りは、俳句を無形文化遺産にしていいわけがない。僕はそんなのはいやだ」と要約されることを書いたつもりだ。

  ●

それから、天気さんは僕の書いたものに「《名誉欲にまみれた老人・中年 vs 俳句をことをマジメに愛する》という構図の絵」を見てとろうとしているけれど、これはあまりにもプロレス化しすぎじゃないだろうか。天気さんは、ときどき、世界に対してこんなふうに明快なスペクタクルの構図を与えることで、世界をあまりにレッスルさせてしまうように思う。たしかに、それがとても愉快なこともある。けれど、有馬さんって、ほんとうに「名誉欲にまみれた老人」だろうか(いや、まあ、天気さんとしては、冗談のつもりなんでしょうけども)。むしろ、見境なしに夢を追っかけちゃってるだけで、善意のひとだと僕は信じていて、僕は、有馬さんのこと、そこだけはまるで疑ったことがない。その信頼なしには、僕は、おそらく、こんなふうに「有馬朗人氏に反対する」ことはできなかったとさえ思う。

たまたま、僕がいま別のところで読んでいるアンドレ・バザンの文章に、次の言葉がある。
現実を糾弾するからといって悪意をぶつける必要はないのだ。世界は非難される以前に「存在している」ことを、イタリア映画は忘れていないのである。それは愚かで、ボーマルシェ〔一七三二‐一七九九年。フランスの劇作家〕がメロドラマ〔原義は伴奏つきの通俗劇〕が流させる涙を称賛したのと同じぐらいナイーヴな態度かもしれない。だが、ぜひ私に聞かせてほしい。イタリア映画を見たあとでは、私たちはより良い気分にならないだろうか。世の中の仕組みを変えたい、それもできれば人々を説得することで――少なくとも説得可能な人々、つまり無分別や偏見、不幸のせいで、自分たちの同胞に害を与えてしまっていた人々を説得して――変えていきたいとは思わないだろうか。
(アンドレ・バザン「映画におけるリアリズムと解放時のイタリア派」、アンドレ・バザン『映画とは何か』、下巻、野崎歓ほか訳、岩波書店、2015年、84-85頁)
これは、数々のイタリア映画に対するバザンの「個人の感想」を含んだ言葉でもあったのだと思うのだけれど、とにかく、僕はバザンのいう説得みたいなものを、有馬さんに向けて書きたい、有馬さんの賛同者に向けて書きたいと思っていた。あなたがたを僕は決して悪人だとは思わない、けれど、僕にとってそれは苦しい、と。その説得の言葉が「個人の感想」だったならどんなにかすばらしいだろうと思って、書いてるうちに、滑って転んじゃったわけだ。

  ●

僕がなんでそんなに「個人の感想」にこだわるのかというと、結局、僕は、それが全体主義的なもの(忘れないでおきたいのは、それがしばしば善意の塊によって発生するということだ)の一切に対する反対物になりうると信じているからだ。それは、結局、まだ信じている。
イエスタディ・ワンスモアの思想の虜になり家族を捨てようとしたひろしはしんのすけから自分の靴の臭いをかがされて、はっとして正気にかえります。それは「イエスタディ・ワンスモア」の「20世紀の匂い」という大きな歴史の匂いに拮抗する、小さな個人の「靴の臭い」です。そこでひろしは気づくのです。ああ、どんなに普遍化された「匂い」も、「※個人の感想です」という小さな私の「臭い」に過ぎないのだと。
柳本々々「【短詩時評30回(※個人の感想です)】〈感想〉としての文学――兵頭全郎と斉藤斎藤」) 
だから、僕は、「臭い」の側に立って、有馬さんたちにどうか届くまで、「臭い」を嗅がせようとしたわけだ。まあ、滑って転んじゃったわけだけれど。

  ●

ここに、柳本さんの次の言葉を引用したら、僕はまた滑って転んじゃうことになるだろうか。
「まだ奥があるよ。でも続きはあなた自身で考えてね。あなたがいま立っているその場所であなた自身のもっているすべてでこれからのことを考えてみてね」。それが「※個人の感想です」なのです。
(同前)
うん、これで終わるのはやっぱりまずいだろうな。

  ●

もうすこし違うことを書いておこう。たとえば、ロラン・バルトの『記号の国』は、日本についてあるいは俳句についての、すぐれた「個人の感想」としても読むことができる本だと思うのだけれど、そこには、たとえばこんなふうなことが書いてあったりする。
〔……〕俳句(私は結局、あらゆる不連続な描線、私の読みへとおのずから立ち現れて来るような、日本の生活におけるあらゆる出来事を、このように呼ぶ) 〔……〕
(Roland Barthes, L'empire des signes, Genève, Skira, 1970, pp.112-113. 強調は原文ではイタリック体。日本語訳は引用者による)
じゃあ、僕はいったい何を「俳句」 と呼ぶんだろう。いったい、何をそう呼びたいんだろう。

とりあえずの答え――それは、おそらく、僕がいつか「発句」と呼びたいと思っているものでもあるのだろう()。これはもちろん、あくまでも個人的なとりあえずの答えにとどまるわけだけれども。

  ●

ちなみに、僕が今回の文章を読み返して個人的にいちばん恥ずかしかった失敗は、もとになったインタビュー記事の聞き手である森忠彦さんの名前をコピー&ペーストしたときに、うっかり「氏」をつけ忘れたことです(※個人の感想です)。

2017/5/19

2017年5月22日月曜日

●月曜日の一句〔竹岡江見〕相子智恵



相子智恵






月光をつめたく許し螢とぶ  竹岡江見

句集『先々』(邑書林 2017.04)

太陽の反射光である月光は無機的で冷たく、けれども溢れるほどに降り注いでいる。かたや螢の光はか弱く小さいが、生きている光として明滅している。月の光を降るままに許し、その中で、己が光を明滅させながら懸命に飛び、生きる小さな螢。これは求愛の光だろうか。

〈つめたく許し〉には小さな螢の強さや孤独のようなものが感じられる。一句の中に二つの光を描くのは難しいことだろうが、月光のつめたさと螢の放つ懸命の光の違いに、静かなあわれがある。さらに〈許し〉という踏み込みによって、作者の内面まで感じられてくる。

2017年5月20日土曜日

★週俳の記事募集

週俳の記事募集


小誌「週刊俳句は、読者諸氏のご執筆・ご寄稿によって成り立っています。

長短ご随意、硬軟ご随意。

お問い合わせ・寄稿はこちらまで。


※俳句作品以外をご寄稿ください(投句は受け付けておりません)。

【記事例】

句集を読む ≫過去記事

最新刊はもちろん、ある程度時間の経った句集も。

句集全体についてではなく一句に焦点をあてて書いていただく「句集『××××』の一句」でも。

俳誌を読む ≫過去記事

俳句総合誌、結社誌、同人誌……。必ずしも網羅的に内容を紹介していただく必要はありません。ポイントを絞っての記事も。


そのほか、どんな企画も、打診いただければ幸いです。


紙媒体からの転載も歓迎です。

※掲載日(転載日)は、目安として、初出誌発刊から3か月以上経過。

2017年5月19日金曜日

●金曜日の川柳〔墨作二郎〕樋口由紀子



樋口由紀子






鶴を折るひとりひとりを処刑する

墨作二郎(すみ・さくじろう)1926~2016

〈鶴を折る/ひとりひとりを処刑する〉〈鶴を折るひとり/ひとりを処刑する〉、どこで切るかによって解釈が違ってくる。私は前者を採用する。

あたりまえだが、折り紙は手が創り出すものである。鶴を折るのは千羽鶴に代表されるように、病気回復や成就祈願のことが多い。願いや祈りをこめて、角々を合わせて、きちんと折る。山折り谷折りが効いているほど鶴は見事なかたちに仕上がる。「ひとりひとりを」に指先に力をいれて、丁寧の折る動作を感じる。その手の力の入れ方に災いを処刑し、しいては災いの元凶となった人たちのひとりひとりへ怒りがこめられているような気がする。

墨作二郎が昨年末に亡くなった。墨作二郎の存在は大きく、彼が居てくれたから、彼が立っていたから、書くことができた川柳がたくさん生まれた。川柳を牽引してくれていた人たちが次々と居なくなる。〈飴玉が転ぶとすれば環濠都市〉〈星やがて見事な蛇の皮となる〉〈指人形吊るす月下の靴の紐〉〈ばざあるの らくがきの汽車北を指す〉〈蝉は樹を離れて海を見に行った〉。

2017年5月18日木曜日

●化石

化石

冬晴の化石生臭くはないか  和泉香津子

もう鳴かぬ亀の化石を飾りけり  日原 傅

パラソルの熱つ骨脇に化石館  八木三日女

木の化石木の葉の化石冬あたたか  茨木和生


2017年5月17日水曜日

●砂丘

砂丘

女の素足紅らむまでに砂丘ゆく  岸田稚魚

砂丘なすわが蔵書なり飯の汗  守谷茂泰

昼の虫砂丘の底に鳴きゐたる  有働 亨

砂丘ひろがる女の黒き手袋より  有馬朗人

春の月高き砂丘を離れたり  望月 周〔*〕

うぐひすや砂丘昨日の砂ならず  津田清子


〔*〕『俳コレ』(2011年12月/邑書林)より。



2017年5月16日火曜日

〔ためしがき〕 第二句集の計画 福田若之

〔ためしがき〕
第二句集の計画

福田若之


現在進行中の第一句集については、いまここに書くわけにいかない。けれど、すでに思い描いている第二句集の計画については、ためしにここに書いてみてもいいだろう。

  ●

とはいえ、実現するかどうかはわからない。そもそも、載せる句にしたって、まだどんなものになるかわからない。句は、第一句集が校了してから書く。そうでないと、第一句集に載せたくなってしまうだろうから。

  ●

計画しているのは、二つ折りにされた二枚の紙を重ね合わせて、折り目のところを上下二本のホチキスで留めるだけの、小さな本だ。

  ●

句集の名はすでに決まっている。『二つ折りにされた二枚の紙と二つの留め金からなる一冊の蝶』。鳥でないのはその翅が四枚だからで、蛾でないのは休むときに翅を閉じるからだ。

  ●

構成もほぼ決まっている。表紙には、「第二句集」という文言とともに、句集名、著者名と出版者名を印刷する。表紙をひらいて、最初の見開きの右(表紙裏)は印刷なし、左が扉で、ここには句集名、著者名と出版社名を印刷するか、あるいは、句集名のみを印刷する。扉をめくった見開きの左右に一句ずつ。さらにめくると見開きの右に奥付、左(裏表紙裏)は印刷なし、そして裏表紙。

  ●

上述のとおり、収録句数はたった二句。ノンブルも、句のページだけをカウントして振ろうと思う。総ページ数は、二ページということになる。

  ●

印刷する二句は、いずれも「鱗粉」の句がよいだろう。蝶の翅を彩る黒い鱗粉。これぞという「鱗粉」の二句を仕上げること。それも、できるだけ、たとえば虚子の〈虹消えて音楽は尚続きをり〉と〈虹消えて小説は尚続きをり〉のような、対になる二句が望ましい。

  ●

計画は、「句集」というものの最小形態を実現したいというコンセプチュアルな欲求に端を発している。そこから、句集というものの最小形態にかかわる《二》ということにこだわってみたいという気持ちが出てきた。「第二句集」は、その絶好のチャンスにほかならない。

  ●

《二》へのこだわりによって、この第二句集の計画は、実行されないまま「お蔵入り」になった「植樹計画」と明確に対をなしている。小説を準備しながら、ロラン・バルトは次のように語っていた――「ところで、全体的な〈書物〉とは別のもう一方の極には、短い書物の、濃密で純粋で本質的な書物の可能性がある[……] 」(Roland Barthes, La préparation du roman : Cours au Collège de France 1978-79 et 1979-80, Paris, Seuil, 2015, p.342)。「植樹計画」は、一句から無限性を志向し、それによって植物であろうとするものだった。『二つ折りにされた二枚の紙と二つの留め金からなる一冊の蝶』は、二句という有限性、二枚の紙と二つの留め金という有限性をその身に引き受け、それによって動物であろうとするだろう。

  ●
 
あるひとから、第一句集は俳人としての名刺代わりになるものだ、という話を聞いたことがある。けれど、おもに金銭的な問題から、僕は、これから会うまだ数の知れない人たちにつぎつぎ渡していくほどには、第一句集を自分の手元に置くことはできそうにない。だから、この第二句集を名刺代わりにすることにした。というか、名刺にすることにした。
 
それには、奥付のページに著者名だけでなく、住所、郵便番号、電話番号、メールアドレス、参加している同人誌などを、プロフィールとして記載すればいいだけだ。一般的な名刺入れに収まるような、小さな句集。こうして、純粋に原理的な欲求が、思いがけず、世俗的な有用性に合致することになる。
 
句についてはともかく、この著者プロフィールについては、転居やあらたに別の雑誌に参加するなどした場合、改定する必要がでてくるだろう。名刺として人に渡すのだから、必要に応じて増刷する必要が出てくるだろう。そうした改版や増刷についても、最小限の情報は奥付に掲載しなければならないことになるだろう。
 
  ●
 
フレキシブルな増刷・改版の必要があるから、必然的に、私家版にせざるをえないだろう。そして、名刺として渡そうというのだから、当然、非売品ということになるだろう。ISBNの取得は不要だろう(というか、申請したところで取得できるか、ちょっと疑わしい)。
 
  ●
 
紙もある程度の固さが必要になる。あまり柔らかすぎると、名刺としての保管がうまくいかないだろう。しかし、分厚すぎるとおそらく普通の名刺と同じようには保管できない場合が出てくるので、固いだけでなく、ある程度薄い紙でなければならない。
 
  ●
 
正直、最初に構成を思いついたときには、まったくの思いつきにすぎなかったのだけれど、こう書いてみて、思っていたよりも自分が本気になっていることに、ちょっとおどろいている。

2017/5/12

2017年5月15日月曜日

●月曜日の一句〔金子敦〕相子智恵



相子智恵






ひとすぢの藁の突つ立つ夏帽子  金子 敦

句集『音符』(ふらんす堂 2017.05)

ひと昔前までは素朴な農作業用、あるいは海辺で被るだけという感じだった麦藁帽子も、最近ではおしゃれな夏のファッションとして、街中で普段から被る人が多い。

そういえば、麦藁帽子ほど「素材」をリアルに感じる衣料品・装飾品というものもないな、と改めて思った。掲句、麦藁帽子の麦藁が一本、ぴょこんと立ち上がっている。元はきちんと編みこまれていたのだろうが、使っているうちに藁が一本出てきたのだ。〈突つ立つ〉の力強さには、帽子にまとまり切れない素材の主張が見えてきて、藁の「生きている(た)感じ」にハッとさせられる。

既製品の中にある、むき出しの野生。その力強さが〈突つ立つ〉に凝縮されている。淡々とした描写の中に、写生の力を感じさせる句だ。

2017年5月12日金曜日

●金曜日の川柳〔西秋忠兵衛〕樋口由紀子



樋口由紀子






母の箸から金時豆がころがった

西秋忠兵衛 (にしあき・ちゅうべえ) 1928~

母が金時豆を落した。が、「金時豆がころがった」と書く。今、そういうことがあったのではなく、過って、そういうことがあったことを思い出しているのだろう。それはずいぶん昔の出来事。ふいにそのことを思い出したのか、あるいは何度も反芻しつづけているのか。その頃からお母さんの老いが顕著になってきたのかもしれない。そして、作者もその年齢に近づいてきた。自分が今どこにいるのか、自分の位置に気づく。そして、母を思い出す。

「金時豆」はお母さんの好物でよく食べていたのだろう。丸くて甘くてやさしい味がする。「金時豆」の字面も「きんときまめ」という響きもいい。手ざわりと温もりがある。〈足をとめたのは五月が笑ったから〉〈千円がぬくい コロッケがうまい〉〈トンネルに宇野重吉が佇っている〉 「スパナーの詩」(1994年刊)収録。

2017年5月10日水曜日

●水曜日の一句〔山中正巳〕関悦史


関悦史









夢精てふ言葉は美しき桃の花  山中正巳


夢精という現象が、ではない。言葉「は」である。

この語が何を指すかを知らなかったとして、その内容を想像し、夢の精と取った場合、たしかにファンタジー的な美しさを持った言葉と捉え得るだろう。

ただしこの句は、ひるがえってその実態の汚さを皮肉に笑うことが主眼といった作りにはなっていない。「桃の花」が情調を決めており、その桃色が句の方向を夢精自体から逸らし、くつろげさせ、夢精ひいては生そのものまでをも桃源郷的な華やかな明るさに染め上げていくからである。

実態としての夢精の情けなさ、汚さも、そのなかに巻き込まれ、肯定されていく。遠く離れて見れば、すべてが美しく見える。その遠さを組織しているのが季語の「桃の花」と「言葉は」という迂回路なのであり、この句は言葉と実態のずれに興じて事足れりとしている句ではないのだ。

かくして軽い皮肉さや余裕の向こうに、若い身体が桃の花そのもののように浮かび上がる。修辞や詩形式を扱うとはそもそも間接的なわざで、その間接性、倒錯性を介してこそ浮かび上がってくる穏やかな肯定が一句を満たしている。


句集『静かな時間』(2017.4 ふらんす堂)所収。

2017年5月9日火曜日

〔ためしがき〕 波の言葉8 福田若之

〔ためしがき〕
波の言葉8

福田若之


深夜、ふいに、子守歌の詩学というものを夢想する。それを聴くものが、もはやそれを聴かなくなるために歌われる詩について、ひとは何を語りうるのだろう。

  ●

回文が教えてくれるのは、こういうことだ。すなわち、僕たちが来た道を引き返そうとするとき、僕たちはそれでも先に進んでいるのだし、けっして元のところにもどることはないだろうということ。

2017/4/11

2017年5月8日月曜日

●月曜日の一句〔菊地寿美子〕相子智恵



相子智恵






朴の花とは天に向き咲くことよ  菊地寿美子

句集『朴の花』(角川文化振興財団 2017.04)

当たり前のことを当たり前に詠んだ句のようでありながら、「空に向き」ではなく〈天に向き〉であることが、この句の情感を高めていて、しみじみとする。空ではなく天であることで、神々の住む場所、また天国という死後の世界とのつながりが感じられてくるからだ。

朴の木は高くてなかなか花を上から見ることはできないが、それだけに天のためだけに咲いている花のようにも思われる。花の大きさ、白さ、杯のような形も、天へ捧げられる供物のような、人々の天に対する思いのようにも感じられる。

〈天に向き咲くことよ〉の詠嘆によって、そのような情感は高められている。この詠嘆によって、ただの写生ではなくその奥の精神性が感じられてくる。

2017年5月4日木曜日

●文学フリマ東京(5月7日)週刊俳句ブース;出品予定リスト

文学フリマ東京(5月7日)週刊俳句ブース;出品予定リスト

・開催日 2017年5月7日(日)

・開催時間 11:00~17:00予定
・会場 東京流通センター 第二展示場

・アクセス 東京モノレール「流通センター駅」徒歩1分

【話題の句集・評論】
岡村知昭『然るべく』
小津夜景『フラワーズ・カンフー』(サイン本)
田島健一『ただならぬぽ』
中村安伸『虎の夜食』
関悦史『花咲く機械状独身者たちの活造り』『俳句という他界』

【文フリ向け緊急刊行】
手のひらサイズ俳誌『蒸しプリン会議』(太田うさぎ、岡野泰輔、荻原裕幸、小津夜景、西原天気、鴇田智哉)

【俳誌】
俳誌『オルガン』(生駒大祐、田島健一、鴇田智哉、福田若之、宮本佳世乃、宮﨑莉々香)バックナンバー+最新号

業界最小最軽量俳誌『はがきハイク』(笠井亞子+西原天気)バックナンバー数号セット

【週俳編集本】
金原まさ子『カルナヴァル』
『俳コレ』
『虚子に学ぶ俳句365日』(執筆陣:相子智恵 神野紗希 関悦史 高柳克弘 生駒大祐 上田信治)
『子規に学ぶ俳句365日』(執筆陣:相子智恵 上田信治 江渡華子 神野紗希 関悦史 高柳克弘 野口る理 村田篠 山田耕司

2017年5月3日水曜日

●水曜日の一句〔古田嘉彦〕関悦史


関悦史









三角部屋を寒いと言うのは誰か  古田嘉彦


「言った」ではなく「言う」なので、いま現在「寒い」と言う者は同室しているらしい。いや、ひょっとしたらこれから「言う」という未来の事象なのかもしれず、その場合、誰かが「寒いと言う」ことは、まだ起こっていないにもかかわらず確定していることのようなのだが、いずれと取っても奇異な閉塞感が漂う。

原因の一つは言うまでもなく「三角部屋」という奇態な空間であり、しかもそこは寒いらしいということだが、さらに奇妙なのは、そこに誰が誰か互いにわからなくなる程の人数が一緒にいるらしいことである。彼らの関係や、なぜそこにいるのかといった事情は一切わからない。いや、これにも全員がなかに閉じこもっているわけではなく、戸を開けて入った瞬間に「寒い」という言葉を発したと取れないこともない。

だが一句を読み下してみたときの印象として、彼らはずっと三角部屋に閉じこもっているように思える。寒いならば出てゆくか煖房をかけるかすればいいのだが、ここにはそういう選択肢はない。あるならば誰の発言かを詮索している間に然るべき行動を取るだろう。ここには行動の自由はない。さらに、厳密には、発言者が誰かを本当に詮索しているのかどうかも怪しい。この「寒いと言うのは誰か」はそんなことを言ってはならないという禁圧とも取れる。

心象を象徴的に詠んだ句というのが、一応の理解の仕方となるだろうが、「三角部屋」自体にイメージ・シンボル事典の類に載ることができそうな、積み重ねられてきた象徴の歴史といったものがあるとも思えない。ここにあるのは、或る偏波さ、尖鋭さを帯びつつ建築の隅に追いやられた部屋の形象と、そのなかで黙っていつまでとも知れぬ時間をおのおの耐え続ける複数の人たちという状況だけである。この遭難者の群れのような人影に、「三角部屋」という空間が具体性を与える。「三角部屋」から解放された時、彼ら自身もまた雲散霧消してしまうのかもしれない。ここでは拘束、膠着こそが存在に基盤を与えているのである。


句集『展翅板』(2017.3 邑書林)所収。

2017年5月2日火曜日

〔ためしがき〕 波の言葉7 福田若之

〔ためしがき〕
波の言葉7

福田若之


俳句における季について考えるうえで、暦というものが、すくなくとも近代以降、まぎれもなく国家的なものでありつづけていることは、もうすこし念頭におかれてもよいはずだ。有季の立場からも、無季の立場からも、その他の立場からも。

  ●

「風景――パリは、遊歩者にとっては本当に風景となる。あるいは、より厳密に言うならば、遊歩者にとってこの都市は弁証法的な両極に分かれる。この都市は、風景としてみずからを遊歩者に開き、部屋として遊歩者を包み込むのである」(ヴァルター・ベンヤミン「遊歩者の回帰」、『ベンヤミン・コレクション4――批評の瞬間』、浅井健二郎編訳、筑摩書房、2007年、369頁)。この一節に述べられていることは、おそらく、芭蕉が『おくのほそ道』の冒頭部に述べていること、ロラン・バルトが『記号の国』の最後の断章に述べていることと通じている。言ってみれば、移動式住居ならぬ居住式移動――だが、この言葉は正確ではないのだろう。期待されているのは、移ろうことと棲むことのあいだに主従関係を秩序付けることではないはずなのだから。

2017/3/22

2017年5月1日月曜日

●月曜日の一句〔関悦史〕相子智恵



相子智恵






挽肉のパックに「兵」の字や暮春  関悦史

句集『花咲く機械状独身者たちの活造り』(港の人 2017.02)

春も終わりに近づく、ちょうど今時分のスーパーでの買い物。ハンバーグや餃子でも作るのか、ゆったりとした気分で挽肉のパックに手を伸ばす。その平和な風景と地続きにある「兵」の文字のクローズアップによって、日常がいきなり暗転する。

実際には兵庫県とか、産地や加工地が書いてあったのかもしれない。けれどもその中の「兵」の文字だけが句の中で切り取られることは、やはり戦場で粉々に砕かれた兵士の肉体を思わずにいられないのである。

ここで実はひたひたと怖ろしく思われるのは〈挽肉のパックに「兵」の字や〉という中七までで、かなりぎょっとする展開を見せながら、〈暮春〉で、またすぐに駘蕩たる気分に戻ることかもしれない、とも思う。〈「兵」の字〉は、本物の兵ではなく、値札シールに書かれた「情報」だ。一瞬のうちに、兵士の肉体が飛び散るむごさは通過していってしまう。その「他人事(ひとごと)感」を突き付けられてしまうのである。私たちはテレビで日々紛争のニュースを見ながら、それでも一方では温かい晩御飯を食べる、それが日常化しているように。

〈スクール水着踏み戦争が上がり込む〉や、〈「プラチナ買います」てふ店舗被曝の雨に冷ゆ〉の原発事故の帰還困難区域の句。これらの〈スクール水着〉や〈プラチナ買います〉という現代的な薄っぺらい言葉(情報)も、それは記号的に何かを象徴するものでありながら、そのまま私たちの日常生活におけるリアルな皮膚感覚である。現代では肉体と情報は絡み合っていて、引き離せないところまで来ている。情報は肉体化し、肉体は情報化する。

この句集に収録された1402句という膨大な句を読みながら、作者は現代のシャーマンのようだと思う。情報が、彼の元に寄ってくる。それは肉体が寄ってくるのと、現代では不可分だ。情報の痛み(それは肉体の痛みでもある)たちは、それを感受してくれる彼の元にやってくる。忘れっぽく麻痺しやすい私たちの日常に、詩として降りてくるために。

肉体と情報が絡み合う現代のリアルを描ける得難い俳句作家を、私たちは得ているのだと改めて思う。現代における写生を実践する作家、ともいえるのかもしれない。