2023年12月29日金曜日

●金曜日の川柳〔井上信子〕樋口由紀子



樋口由紀子





何う坐り直して見てもわが姿

井上信子 (いのうえ・のぶこ) 1869~1958

井上信子は川柳中興の祖といわれる井上剣花坊の妻で、女性川柳人の育成に努めた。治安維持法違反で二度投獄、二十九歳の若さで獄殺された反戦川柳作家鶴彬を支えぬいた人としても知られている。

今よりももっと生き難かった時代に信念をもって生き抜いた人が毅然として言う。言葉に重みがある。自分を落ち着いた目で見ている。どうあがいてみてもわが姿なのに、それがなかなか受け入れられない。相も変わらずばたばた、しだばた、あたふたした一年だった。『蒼空』(柳樽寺川柳出版会 1930年刊)所収。

2023年12月28日木曜日

〔俳誌拝読〕『ユプシロン』第6号(2023年11月)

〔俳誌拝読〕
『ユプシロン』第6号(2023年11月)


A5判・本文28頁。同人4氏、各50句を掲載。

心臓が鯨を運ぶ沖へ沖へ  小林かんな

ビル街の蝙蝠の飛ぶ一軒家  仲田陽子

安南のにせものの壺桜咲く  中田美子

七種のあつといふ間に一緒くた  岡田由季

(西原天気・記)



2023年12月27日水曜日

西鶴ざんまい 番外篇19 浅沼璞


西鶴ざんまい 番外篇19
 
浅沼璞
 
 
年内に書きとめておきたいことがまだあって、今回も番外編とします。

 
番外篇15(https://hw02.blogspot.com/2023/07/15.html)でも述べましたが、本年は小津安二郎の「生誕120年 没後60年」ということで、いろいろな催し物が各地で目白押しだったようです。

小津ゆかりの地・神奈川では大規模展が神奈川近代文学館(4/1~5/28)で催されましたが、押しつまってからも鎌倉芸術館で「小津安二郎とブンガク展」(12/12~19)がありました。誕生日にして命日の12/12にちなんだ企画でしょう。

 
旧松竹大船撮影所の一角にあるその芸術館に行ってみると、小規模ながらも「ブンガク展」の名にふさわしく、小津旧蔵の谷崎潤一郎・里見弴らの書や書簡が展示されていました。
 
しかし愚生にとって最も興味深かったのは、同じ映画監督の溝口健二との両吟を記した小津自筆の色紙でした。
 
撮影禁止でしたので、メモ帳に写し取った内容を、以下に記します(現物は縦書きですが、改行や字アキなどは極力ママとします)。
小津安二郎 書画
溝口健二の句
 白足袋のすこし
 汚れて 菫ぐさ
そして僕の句
 紫陽花にたつきの
 白き足袋をはく
   小津安二郎
(オフィス小津蔵/鎌倉文学館寄託)
両吟の下には足袋の白描、小津の署名、そして二つの落款(姓名印と関防印か)があります。季重ねながら、両句とも映画のシーンを髣髴させるように感じるのは愚生の僻目でしょうか。

 
溝口といえば『西鶴一代女』(1952年)がまず思い浮かびます。
 
学生時代、西鶴の好色物に興味を持ちながら、『好色一代女』(1686年)だけはなかなか読破できませんでした。なにか文体もストーリーも冗長な気がしてならなかったのです。
 
それが溝口映画の一代女を観てからは、主演の田中絹代のイメージに助けられ、あっさり読了できたというだけではありません。その後、一代女を読むたびに小柄な田中絹代のイメージがたち現れるのです。

 
溝口の白足袋の句を目にした際も、田中絹代ひいては一代女のイメージを打ち消せませんでした。
 
連句の心得のあった小津もまた、田中絹代ひいては一代女の面影を詠んだのかもしれません。

2023年12月26日火曜日

◆2024年 新年詠 大募集

2024年 新年詠 大募集

新年詠を募集いたします。

おひとりさま 一句  (多行形式ナシ)

簡単なプロフィールを添えてください。

※プロフィールの表記・体裁は既存の「後記+プロフィール」に揃えていただけると幸いです。

投句期間 2024年11日(月)0:00~15日(金)24:00
※年の明ける前に投句するのはナシで、お願いします。

〔投句先メールアドレスは、以下のページに〕
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2007/04/blog-post_6811.html

2023年12月25日月曜日

●月曜日の一句〔千倉由穂〕西原天気



西原天気

※相子智恵さんオヤスミにつき代打。




春眠のひとつに昼の街灯も  千倉由穂

昼行灯(ひるあんどん)という言い方がある。人への一種、蔑称だ。行灯が街灯に変わるだけで趣きがずいぶんと違う。

昼になってもまだ点いている街灯を春眠のひとつと数えてもいいだろうという」この句。考えてみれば、人が眠っているあいだ、街灯は不眠不休で道を照らす。消えているあいだが、街灯にとっての休み・睡眠とすれば、昼に休む・眠るしかないが、そのあいだも点きっぱなしだと、それは春眠ではない? 覚醒状態のまま? と、ちょっと混乱してくるが、否、昼の明るさのなかで、ぼおっと点っている街灯は、姿として、挙措として、たしかに春眠です。

掲句は『むじな 2023』(2023年11月25日)より。

2023年12月24日日曜日

2023年12月22日金曜日

●金曜日の川柳〔青砥和子〕樋口由紀子



樋口由紀子





赤赤と松田聖子になるカンナ

青砥和子 (あおと・かずこ) 1954~

私たち年代の女性は「松田聖子」に対して複雑で微妙な思いがある。彼女は山口百恵とは違う、中森明菜とも違う。アイドルの草分け的な存在で、カリスマ的でもあった。「ぶりっこ」は決して誉め言葉ではないが憧憬も多分に含まれている。

独特の形をして咲く「カンナ」を見て、「松田聖子」を連想した。向日葵ではなく、曼珠沙華でもない。すべてのものから栄養をもらい、おそれることなく自分の色をますます濃くして、堂々と赤赤と空に向かって伸びていく姿に羨望のまなざしで見たのだろう。『雲に乗る』(2023年刊 新葉館出版)所収。

2023年12月18日月曜日

●月曜日の一句〔岡田一夫〕西原天気



西原天気

※相子智恵さんオヤスミにつき代打。




地芝居の月みしみしと上るなり  岡田一夫

ローカルな素人歌舞伎だろうか。例えば大見得を切る、その背後の書割の稜線から、紙かベニヤ板の月が上る。「みしみし」というのだから、きっと公民館かなにかの仮組の舞台。月を操作する人の足元が、木を鳴らす。あるいは、月にまつわるの普請のせいか。

こういうときの月って、きまって満月なんだよなあ、と思いを巡らしつつ、それはあたりまえだと気づいた。特別の日、特別の時間、特別の場所に上る月は、めでたく望の月。でないといけないのだ。

なお、掲句を引いた句集『こほろぎ』(2023年9月26日/現代俳句協会)は岡田一夫(1947-2021)の第3句集かつ遺句集。

2023年12月15日金曜日

●金曜日の川柳〔鈴木節子〕樋口由紀子



樋口由紀子





電柱でござる抜いてはなりませぬ

鈴木節子 (すずき・せつこ) 1935~

兵庫県赤穂市では毎年12月14日に、赤穂義士たちが討ち入りを果たしたその偉業を称え、赤穂市最大のイベントとして「赤穂義士祭」が開催される。今年で120回目で、昨日俳優・歌手の中村雅俊さんが大石内蔵助役として義士行列に出演した。

赤穂事件のきっかけになった松の廊下で切りつけたシーンで、浅野内匠頭を止める人が言ったのが「殿中でござるぞ」である。掲句はそれをもじった川柳である。そこに、忘年会帰りなどで酒に酔った人が電柱を抜こうする姿に掛けて、差し替えた。ばかばかしいほどの川柳である。しかし、そのばかばかしさに引き戻される。「What's」(第5号2023年刊)収録。

2023年12月13日水曜日

西鶴ざんまい 番外篇18 浅沼璞


西鶴ざんまい 番外篇18
 
浅沼璞
 
 
さまざまなジャンルに手を染めた西鶴には『一目玉鉾』(元禄二、1689年)という道中案内記まであります。
 
今でいえば旅行ガイドブックのようなもので、北は千島列島、南は長崎まで網羅する絵図入りの道中記です。
 
西鶴の実際の見聞のほか、諸国の俳諧師からの伝聞も多く含まれていると思われますが、巻二に藤沢の遊行寺(時宗本山)の項目があり、こう記されています。

〈此の寺に小栗判官の塚あり、其の奥に横山の塚とてむかしを残しける〉

ここでいう〈横山〉とは小栗を殺害した横山一門(照手姫の親族)のことでしょう。いまも本堂裏手の長生院(小栗堂)には小栗や照手の墓が残されています。
 
 
さて、番外篇12でもふれたように、この遊行寺本堂では遊行舎による小栗ものの上演(1996年)がありました。

残念ながら遊行舎は昨秋、最終公演(湘南台市民シアター)を終えましたが、小栗よろしく蘇生する劇団もあり、今秋、遊行寺の本堂では横浜ボートシアターによる新版『小栗判官・照手姫』が上演されました。
 
 
今は昔、横浜元町近くの運河に浮かぶ緑の木造船で、仮面劇『小栗判官・照手姫』を観た記憶があります。拙宅の本棚から出てきた当時のチラシを見返すと、1982年11月の横浜ボートシアター第三回公演だったことがわかります。
 
チラシ裏面には、山口昌男氏の「神話としての小栗判官蘇生譚」というエッセイが引用されており、その後のボートシアターの活躍を予見しています。
 
 
あれから40年余り、当時の代表だった遠藤啄郎氏(脚本・演出・仮面制作)は2020年に亡くなられており、その追悼公演として新版『小栗判官・照手姫』が遊行寺本堂で行われたようです。
 
残念ながら11/3, 4の本堂での公演は都合がつかず、11/23, 24, 25と行われた東京公演(シアター代官山)の、その最終日になんとか観ることが叶いました。

かつてより少人数(8人)ながら、仮面で何役もこなすカーニバル的な演出・演奏は変わらず、小栗の傲慢な貴種ぶりはもちろん、照手変貌による両面価値、閻魔大王の豪胆なユーモア、餓鬼阿弥の土車の躍動感、等々見ごたえ・聴きごたえは十分。休憩を挟んでの約3時間、天井も大床も、ひらりくらりと舞うポリフォニックな舞台でした。
我等自身の内に、
そして声に身振りに、
死者達の風を、
今ここに。
――「餓鬼達の夏芝居」遠藤啄郎
(新版『小栗判官・照手姫』パンフより)
つぎの公演が待たれるところですが、興味ある向きには、この夏に刊行された岩波文庫版『俊徳丸・小栗判官』(兵藤裕己・編注)をおすすめします。

2023年12月11日月曜日

●月曜日の一句〔南十二国〕相子智恵



相子智恵






てのひらのよろこんでゐる寒さかな  南十二国

句集『日々未来』(2023.9 ふらんす堂)所収

掲句にふと立ち止まり、なぜ、てのひらは寒さを喜ぶのだろうか。寒さじゃなきゃ駄目なのだろうか、他の季節だったらどうだろうか……と、ひとしきり心の中で句を転がしてみて、ああ、これはやっぱり「寒さ」なのだなあ、と思う。

冷たい雪つぶてを握る手のひらの感覚、寒さにかじかむ手のひらの感覚、寒さをしのぐために両手のひらをごしごし擦り合わせたり、ハンドクリームをつけたり、手袋をするのもほとんど冬だけだ。誰かと手をつなげばてのひらは温かい。
思えば、こんなにもてのひらから何かを感じ、てのひらに意識が向くのは冬だけかもしれない。

本書には〈飯食へば手のひら熱し冬の山〉という句もあって、これも不思議な取り合わせの冬の句だ。寒い日、温かい食事を食べて手のひらに熱が戻ってくる感覚はよくわかる。手のひらには、冬が似合うような気がしてくる二句である。

 

2023年12月8日金曜日

●金曜日の川柳〔樋口由紀子〕西原天気



西原天気

※樋口由紀子さんオヤスミにつき代打。



火口へと規則正しく毬跳ねる  樋口由紀子

ただただ、景色を、あたまの中に描く。経緯や事情などは書かれていないので、わからない。想像しようもない。火口に落ちたその先も、あまりわからない。見えないほど深い火口かもしれないし。

「規則正しく」が眠りを誘い(まるで催眠術の振り子のように)、この景色は夢魔めく。

掲句は樋口由紀子句集『ゆうるりと』(1991年3月15日)より。

2023年12月4日月曜日

●月曜日の一句〔小澤實〕相子智恵



相子智恵






よどみにうかぶうたかたがわれ去年今年  小澤 實

句集『俳句日記2012 瓦礫抄』(2022.12 ふらんす堂)所収

あっという間に師走である。すぐに〈去年今年〉となるのだろう。掲句、言わずと知れた鴨長明『方丈記』冒頭の本歌取りである。

行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。

川の水の流れは絶え間なく、淀みの水面に浮かぶ飛沫は消えては生じる。その泡の一つこそが自分だというのである。

第3句集『瞬間』以降、2000年から2011年までの句が、このたび第4句集『澤』(2023.11 角川文化振興財団)として刊行された。『俳句日記2012 瓦礫抄』は2012年の句だから、句の発表順としては第5句集に当たる。この2冊を合わせて、ようやく結社誌「澤」創刊(2000年)以降12年間(作者の40代半ばから50代半ば)の句を通して読むことができることとなった。私自身は結社誌「澤」に創刊から属しているので、『澤』『俳句日記2012 瓦礫抄』の句集に収められた句は既に結社誌で読んでいる。しかし、句集として凝縮・精選されたかたちで読むと、その時は気づかなかったことに気づく。次のような句の流れに(この三句が偶然か意図したものかは全く知らない)読者として新たに出会ったりするのである。

ケフチクタフケッシテ死ナナイデクダサイ 『澤』熊蟬領(平成十二年・十三年)

若楓を透くる日生キテヰテヨカッタ 『澤』生キテヰテヨカッタ(平成十八年・十九年)

百年後全員消エテヰテ涼シ 『澤』香水杓(平成二十年・二十一年)

上から、平成13年(2001年)、平成18年(2006年)、平成21年(2009年)の発表作である。どれも生死についての句で、どれも片仮名だ。〈ケフチクタフ〉の句は、「澤」創刊の1年後の発表。制作はもっと早いだろう。「澤」創刊時の風当たりは厳しく、創刊前の悲壮な顔を知る身からすれば、この祈りは誰から誰へのものかは分からないものの、小澤にとって重い句だと想像される。〈若楓を透くる〉は創刊5年を過ぎた辺り、先師の死後である。〈百年後〉は、創刊10年を迎える辺りだ。勢いの強い頃である。

〈百年後〉の句からは、〈虚子もなし風生もなし涼しさよ 小澤實〉という第1句集『砧』所収の句がうっすらと浮かんでくる。〈風生と死の話して涼しさよ 高浜虚子〉の本歌取りだ。〈百年後〉は句集『澤』の帯裏の自選句にも選ばれていて、うまい句だとは思うが、私個人としては正直あまり好きではない。神の視点、天からの視点(だからこそ美しいともいえるが)を感じるからだ。

〈よどみにうかぶ〉の句の話に戻ろう。〈百年後〉と〈よどみにうかぶ〉の句の間にあった大きな出来事がある。東日本大震災だ。〈百年後〉は震災前、〈よどみにうかぶ〉は震災後の句なのである。私は〈よどみにうかぶ〉の句が好きだ。〈百年後〉と同じ無常観の句であるが、それでも、川の中に浮かんでは消えていく一つの泡が自分であり、悲しみの視点が翻弄されていく人間の側からの、地からの視点を感じる。

もっと言ってしまえば、ジェノサイドの苦しみの中にある〈よどみにうかぶ〉から11年後の現代は、〈ケッシテ死ナナイデクダサイ〉の句に、私は一番、共感している。

2023年12月2日土曜日

◆週刊俳句の記事募集

週刊俳句の記事募集


小誌『週刊俳句』がみなさまの執筆・投稿によって成り立っているのは周知の事実ですが、あらためてお願いいたします。

長短ご随意、硬軟ご随意。

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【転載に関して】 

同人誌・結社誌からの転載

刊行後2~3か月を経て以降の転載を原則としています。 ※俳句作品を除く

【記事例】 

俳誌を読む ≫過去記事

俳句総合誌、結社誌から小さな同人誌まで。かならずしも号の内容を網羅的に紹介していただく必要はありません。

句集を読む ≫過去記事

最新刊はもちろん、ある程度時間の経った句集も。

時評的な話題

イベントのレポート

これはガッツリ書くのはなかなか大変です。それでもいいのですが、寸感程度でも、読者には嬉しく有益です。



そのほか、どんな企画でも、ご連絡いただければ幸いです。

2023年12月1日金曜日

●金曜日の川柳〔青砥和子〕西原天気



西原天気

※樋口由紀子さんオヤスミにつき代打。



音程を外して止まる救急車  青砥和子

近くに救急車がやってきて、停車するのを見たり聞いたりしたことはあるが、サイレンがどのように止むのか、記憶がない。というか、一度も意識したことがない。

ぴーぽーぴーぽー、なのか、うーうー、なのか、いずれにせよサイレンには音程があって、停車のときには、そこから外れるのだろうけれど(きっと下がる)、それを意識したことはなかった。

聞いている/経験しているはずなのに、聞いていない/経験していないものが、こうして書かれていることは、大げさにいえば、世界の要素の新しい提示である。これは、「そうそう、音程、外れるよね」といった「共感」よりも、きっと意義深い。

救急車の出動は、シリアスな事態なのだろうけれど、こうしてシリアスな文脈から外れていくのも、川柳、さらには俳句の在り方だと思う。

掲句は青砥和子川柳句集『雲に乗る』(2023年11月20日/新葉館出版)より。

2023年11月27日月曜日

●月曜日の一句〔関猫魚〕西原天気



西原天気

※相子智恵さんオヤスミにつき代打。




つまらないつもらないからきえる雪  関猫魚

音の近似を並べて、シンプルかつ軽妙。

句の中ほどに「いつも」の三文字が浮かび上がる(錯視/誤読)。それも、この句の味わいのひとつ。

掲句は関猫魚『猫魚』(2016年11月1日/マルコボ.コム)より。

この句集は関猫魚(1950-2015)の没後、西村小市氏ら句友の手で出された遺句集。俳号の「猫魚」は彼が店主だった喫茶店「Catfish」から。

集中には、

鰯雲サトウのごはんチンをして  同

など、飄逸ななかにかすかな憂いを含む句も。

2023年11月24日金曜日

●金曜日の川柳〔倉本朝世〕樋口由紀子



樋口由紀子






雨戸まで閉めて枯れ野のふりをする

倉本朝世 (くらもと・あさよ) 1958~

社会に対しての、共同体に対しての違和感表明のようである。そこまでする必然性があるのだ。雨戸まで閉めて、真っ暗にして、外の世界と遮断する。「枯れ野のふり」がどんなものなのかは具体的にわからないが、具体的な行動からの一風変わった精神風景が描き出されている。

なぜそうなのか。どうしてそうなのか、などの理由や説明をすることなく、その周辺を書いて、自身の鋭敏な感覚浮かび上がらせている。「枯れ野のふり」の喩の機能が効果的に使われていて、「ふり」はみずみずしい感じもする。そうすることによって自分を保持していく。『現代川柳の精鋭たち』(北宋社 2000年刊)所収。

2023年11月23日木曜日

●玩具

玩具

おもちや箱寄せれば鈴の音涼し  高濱年尾

吊し売る玩具が鳴つて日は永し 藺草慶子

風花や玩具の如くわれころび  阿部完市

ひまはりの昏れて玩具の駅がある  三橋鷹女

2023年11月22日水曜日

西鶴ざんまい #52 浅沼璞


西鶴ざんまい #52
 
浅沼璞
 
 
 寺号の田地北の松ばら   打越
色うつる初茸つなぐ諸蔓   前句
 鴫にかぎらずないが旅宿  付句(通算34句目)
『西鶴独吟百韻自註絵巻』(1692年頃)
 
【付句】二ノ折、表12句目。秋(鴫=食用)。

【句意】鴫に限らず(海魚とて)ないのが里の宿の常である。

【付け・転じ】打越・前句=松原で落葉を掻きつつ、初茸をとる里の子を想定した抜け。前句・付句=里の子から初茸を買い求めた旅人を想定し、旅宿の場面へと転じた。

【自註】同じ心の友、旅の道すがら、目にめづらしき野山をはるばると、並松(なみまつ)の海道筋を行く時、里の子をまねきて初茸を求めて、其の日のとまり宿の楽しみにすこしの*料理好みして、「此の所に鳥はないか」と亭主にたづね、「物の不自由さ、海肴(うみざかな)も八、九里まゐる」と語る。    *鴫とキノコ類は汁物の取合せ。

【意訳】気の合った友と旅の道中、見るに珍しい野山を遥々と眺めつつ、並木の松の海道筋に行きかかった時、村の子を招きよせて(持っている)初茸を買い求め、その日の旅宿での料理の楽しみにしようと、「この宿に(初茸に合う)鳥肉はないか」と主人に尋ねると、「このあたりの物の不自由なことといったら、海の魚などは(塩魚にして)30㎞以上も運んでくる」と語るのだった。

【三工程】
(前句)色うつる初茸つなぐ諸蔓

 里の子まねき買うてやるなり  〔見込〕
   ↓
 宿に尋ねる鴫の有るなし    〔趣向〕
   ↓
 鴫にかぎらずないが旅宿    〔句作〕

旅人が里の子から初茸を買い求めたと見込んで〔見込〕、どんな料理にするのかと問いながら、鴫に初茸を取合わせる汁物と想定し〔趣向〕、宿の亭主との応答を一句に仕立てた〔句作〕。


この旅人、この晩はどうしたんでしょうね。

「そりゃ飲み食いが叶わんかったら、按摩呼ぶか、遊女呼ぶか、そんなとこやろ」
 
あ、ネタバレ禁止でお願いします。
 
「なんやお前さんが訊いてきたんやないかい」
 
!……またやってしまいました。

2023年11月21日火曜日

〔俳誌拝読〕『トイ』第11号(2023年11月)

〔俳誌拝読〕
『トイ』第11号(2023年11月)



A5判・本文20頁。同人5氏、各12句を掲載。

とりあえず秋を集める莫大小商店  樋口由紀子

八月の雲まだ育つ港かな  青木空知

秋うらら裸婦に売約済みの札  仁平勝

注がれてしづかなかたち秋の水  干場達矢

遠来の酢橘や撫でて絞って多謝  池田澄子

(西原天気・記)


2023年11月20日月曜日

●月曜日の一句〔柿本多映〕相子智恵



相子智恵






野は無人きのふ冬日が差しました  柿本多映

句集『ひめむかし』(2023.8 深夜叢書社)所収

掲句の〈野は無人〉の寂しさと、〈きのふ冬日が差しました〉の懐かしいようなあたたかさからは、虚子の有名句〈遠山に日の当りたる枯野かな〉が、奥底に滲んでくる。
そう読むのは、他の作者の俳句ではあまり良い読みとは言えない場合もあるが、先人に語りかけるような本歌取りの句が散見される本句集では、そして柿本氏の作風からは、その滲みが句をさらに豊かにすると思うのだ。もちろん言うまでもないことだが、掲句は一句独立して個性的な佳句である。

この〈野は無人〉は今日のことだけで、昨日は人がいたのかもしれないけれど、私は昨日も、その前も無人だったのかもしれないと想像してしまう。「誰もいない」というようなやわらかい書き方とは違う、〈無人〉というきっぱりとした硬さの中に、どこかSFっぽい雰囲気があるためだ。

人類が滅んでしまった野のような気がしてくると、〈きのふ冬日が差しました〉のあたたかな記憶は、誰が語っているのだろうかと考えてしまう。この世にいる最後の一人のような気もしてくる。これは想像を広げ過ぎた読みだが。

絵本のような語りの内容とリズムのよさによって、〈差しました〉の口語が、あまり散文的に感じられてこないことも指摘しておきたい。虚子の〈枯野かな〉の切字のような重みと懐かしさが感じられてくるのである。

2023年11月17日金曜日

●金曜日の川柳〔岩井三窓〕樋口由紀子



樋口由紀子






蟻はどんな顔して甘いもの運ぶ

岩井三窓 (いわい・さんそう) 1921~2011

蟻が物を運ぶのは見たことがある。しかし、「どんな顔して」までは気にならなかった。そのだれもが気にとしないところをクローズアップする。蟻は一体どんな顔をしているのかと興味津々にツッコミを入れる。現場的に即物的に話を続けていく手捌きが感じられる。

「どんな顔して」に川柳性が発揮されている。取り立てて言うほどもない些細なことをあえて一句にする作為を徹底させる。甘いものを運んでいるのだから、さぞかしご満悦の顔をしているだろう。そこにこそ、究極のおかしみや哀歓がある。それならば、人は「どんな顔して」生きているのだろうかと気になってくる。

2023年11月13日月曜日

●月曜日の一句〔正木ゆう子〕相子智恵



相子智恵






美しいデータとさみしいデータに雪  正木ゆう子

句集『玉響』(2023.9 春秋社)所収

数値の集まりであるデータを、科学的な分析や考察といった「意味」で読み解くことなく、しかも正しいデータか誤ったデータかといった判断ではなく、そのデータに〈美しい〉〈さみしい〉という個人的な主観を持ち込む。しかも〈美しい〉と〈さみしい〉には正誤のような対比関係がないから、主観のフィールドにおいても論理に落ちることがない。
こうしてデータは意味からも関係性からも解放されてゆき、びっしりと並んだ数値が、眼の奥でちらちらと別の光を放ち始めて、それはやがて降る雪に変わる。

氏は生き物を生き生きと詠むのは当然ながら、こうした無生物にさえ命を吹き込む。

  ダウンジャケット圧縮袋解けば夜空

昨年、クリーニングして圧縮袋で保管していたぺちゃんこのダウンジャケットを、寒くなった夜に取り出す。圧縮袋を開けて、ダウンが空気を吸い込んで膨らむ。ダウンジャケットが夜空を呼吸し始めるのだ。

  ゼムクリップ磁気に集まり霜降る夜

びっしりと集まる人工的なクリップの光と、葉などをびっしりと覆う自然の霜の光の相似。

句集『玉響』には、こうした自在な句がたくさんある。他にも自身の旧作を遊ぶような句もある。氏には〈童貞聖マリア無原罪の御孕の祝日と歳時記に(『静かな水』)〉という31音の長い句があるが、本書には〈どちらかといへば暗いからどちらかといへば明るいへと寒暁〉というこれまた31音の句があって、これも旧作を意識しているのだろう。旧作は季語自体が長かったのだが、新作の季語は〈寒暁〉のみ。融通無碍な境地が、より深まっていると思った。

2023年11月10日金曜日

●金曜日の川柳〔平井美智子〕樋口由紀子



樋口由紀子






難しい字はひらがなで書けばよい

平井美智子 (ひらい・みちこ) 1947~

単刀直入。それ以外に何もいうことがない。まさしくそうである。わからない字も書きにくい字も辞書で調べて、なるべく漢字で書いてきた。そんなええかっこや無理をする必要はないときっぱりと言い切る。

一句に喩の機能もはたらいていて、その人の生き方。考え方がわかる。余白はゼロで、最短距離で、余計なものを足さない。直球を俎上に載せることで川柳に仕上げ、書かれた内容にすべてを持っていかれる。それ以上に発展することはないが、即座に同意したい華がある。『右上がり』(新葉館出版 2023年刊)所収。

2023年11月3日金曜日

●金曜日の川柳〔佐藤みさ子〕西原天気



西原天気

※樋口由紀子さんオヤスミにつき代打。



ドアのない家で生まれて死にました  佐藤みさ子

ドアはなくとも窓はあるのだろう、といった想像は、救いはあるが、いわゆる「甘い」。この家は完全に閉じている。

生まれた彼/彼女に、外部はなく、内(うち)があるのみ。

これほど怖ろしい一生があろうか。

「家」を外部からその人を守るもの、未来を内包する種子のような存在と捉えたのは、バシュラール『空間の詩学』であったか(うろ覚え。手元に当該資料ナシ)。だが、この種子には、芽を出す隙間もない。外部の脅威にも栄養にも無縁で、あらゆる世界から隔絶した家だ。

そこは母や父やきょうだいがいることを想像すると、ひとり孤独よりもはるかに怖ろしい。

くわえていえば、この句、「死にました」と、完結が明言されている点、時間的にも閉じていて、さらに怖ろしい。

掲句は『What's』第5号(2023年10月20日)より。

2023年11月1日水曜日

西鶴ざんまい 番外篇17 浅沼璞


西鶴ざんまい 番外篇17
 
浅沼璞
 
 
前回「ざんまい#51」では、西鶴&芭蕉の晩年の俳諧が、談林から元禄体への流れに即し、接近したことを指摘しました。

これは視点を変えれば、いわゆる「軽み」への接近と換言できるでしょう。
 
談林の「抜け」を否定的媒介とし、内容主義的な「省略」へとアウフヘーベンした結果、あの『炭俵』や『世間胸算用』が生まれたと取りあえず言っておきます。
 
 
さて、会期は過ぎてしまったのですが、出光美術館『江戸時代の美術――「軽み」の誕生』(9/16~10/22)というタイムリーな企画展に行ってまいりました。
 
 
図録によると、江戸画壇の雄・狩野探幽は、絵画の心得をめぐり、「絵はつまりたるがわろき」*という印象的な言葉を残しているそうです。 *『麓木抄』(1673年頃)。
 
つまり、絵の要素のすべてを画面に描きつくし、「つまる」のは好ましくなく、ゆとりや隙を感じさせ、「つまらない」ようにすべきだ、というのです。それを聞いた後水尾(ごみずのお)天皇は賛意をしめされただけではなく、和歌をはじめ、あらゆる芸術ジャンルに普遍的なものと指摘されたそうです。  
 
そこから芭蕉の「軽み」へと図録は言及していきます。
 
 
というわけで芭蕉の発句自画賛も六点ほど展示されていましたが、ここでは西鶴との関連が深い浮世絵画家の作品を二点ピックアップします。
 
 
まずは『好色一代男』江戸版(1684年)の挿絵を描いたことで知られる菱川師宣の、古様の肉筆画「遊里風俗図」(1672年)。

遊郭の奥座敷での歌舞や酒宴が享楽的に描かれています。
 
火鉢の横で抱き合う男女の姿はややかすれているのですが、図録によれば、「制作後に屏風が描き加えられ、二人が塗り消されていた時期があったようだ」との由。
 
 
明治以来、禁書だった西鶴の好色物が、大正期に復刻される段になっても、あちこち伏字にされていたことが思い合わされますが、師宣のこの描写、男女の下半身は引き戸(?)で隠されており、「抜け」が効いていないわけではありません。わざわざ塗りつぶす必要はなかったのではないでしょうか。似たことは西鶴の伏字についてもいえましょうが。
 
 
さて師宣と並んで浮世絵の祖と称される岩佐又兵衛の「源氏物語 野々宮図」(17世紀)も展示されていました。
これは源氏・賢木巻の一場面を、水墨を主体にして描いたものです。
 
かつての恋人・六畳御息所を嵯峨野に訪ね、変わらぬ恋情を伝えようとするシーンですが、図録によれば「これから会うはずの御息所の姿を省略し、源氏のみを接近してとらえるという大胆な試みをしている」との由。
 
まさに「抜け」「軽み」に通底する「つまらない」筆法でしょう。
 
 
「あのな、一代男の挿絵の件やけどな、上方の原本はワシが描いてんねんで」
 
あっ、抜かしてしまいました。
 
「抜け抜けとよう言うな」
 
はい、軽々しくて申し訳ありません。

2023年10月31日火曜日

【新刊】『音数で引く俳句歳時記・冬+新年』

 【新刊】

『音数で引く俳句歳時記・冬+新年』


2023年10月27日金曜日

●金曜日の川柳〔高橋千万子〕樋口由紀子



樋口由紀子






国道を無事に渡ってきた毛虫

高橋千万子

あの小さい毛虫が国道を渡るのはかなり無謀である。車の往来も多く、作者はじっとその様子を見ていたのだろうか。だいじょうぶか、車が来ないか、轢かれないか、途中で止まらないか、さぞひやひやしたことだろう。

実際にその場に立ち合ったかのようだが、国道の脇の毛虫を見ての想像かもしれない。それを「無事に」という感情を入れて、「渡ってきた」と脚色をした。見てきたような嘘をつくのも川柳の一つの方法である。「国道」も「毛虫」を人生の喩としても読めるが、それでは道徳っぽくなってしまう。

2023年10月23日月曜日

●月曜日の一句〔亀井雉子男〕相子智恵



相子智恵






三人は二人と一人いわし雲  亀井雉子男

句集『朝顔の紺』(2023.6 文學の森)所収

〈三人は二人と一人〉は、三人を二つに分ければ、もう、それはその通りでしかないのだけれど、掲句にはうっすらとした寂しさと、あっけらかんとした清々しさというか、禅問答のような味わいが、ほどよいバランスで感じられてくるのがいい。

寂しさという面では、三人でいる時に、自然にそのうちの二人で話が盛り上がり、一人は置いていかれる……というような状況は、経験した人も多いことだろう。

しかし、この句はのんびりとした〈いわし雲〉という季語によって、空の高さと清々しさが感じられてくる。そこに禅問答のような味わいが滲むのである。

二人のほうには対話の喜びやら面倒やらが生まれる。もう一人には孤独が、けれども自分との対話という楽しみも生まれる。そもそも、寂しさという尺度でこの句を読むことも、何か違うような気がしてくる。〈二人と一人〉となったまま、特に何も生まれないかもしれない。〈いわし雲〉はぽっかりと浮かび、やがて風に薄れ、空にとけてゆく。

2023年10月20日金曜日

●金曜日の川柳〔石田柊馬〕樋口由紀子



樋口由紀子






ゆうべ ロールキャベツの美しき

石田柊馬 (いしだ・とうま) 1941~2023

「ゆうべ」のいきなり感やそのあとの一字空けに、作者固有の言葉遣いが見える。「ゆうべは」「ゆうべの」「ゆうべに」と、どのように読んでもいいと読み手に預けられているが、結局は「ロールキャベツの美しき」に着地する。

いかにアングルを変えても、なにより言いたいのは「ロールキャベツの美しき」なのだろう。「ロールキャベツの美しき」に説明と断定がある。この両輪で川柳の長所を切り開いてきた。独自の座り心地ある世界を差し出す。川柳人は何がどうであるかを説明し、断定することである種の高揚感と肯定感を持っている。『ポテトサラダ』(KON-TIKI叢書 2002年刊)所収。

2023年10月18日水曜日

西鶴ざんまい #51 浅沼璞


西鶴ざんまい #51
 
浅沼璞
 
 
堀当て哀れ棺桶の形消え   打越
 寺号の田地北の松ばら   前句
色うつる初茸つなぐ諸蔓   付句(通算33句目)
 『西鶴独吟百韻自註絵巻』(1692年頃)
 
【付句】二ノ折、表11句目。秋(初茸=ベニタケ科で食用、赤松林の地上に自生)。
諸蔓(もろかづら)=双葉葵の異称。松―葛(類船集)。

【句意】色が変わる初茸を諸蔓で括ってつなぐ、その諸蔓。

【付け・転じ】打越・前句=打越の場を寺域の跡地と見なした其場の付け。前句・付句=松原に落葉を掻く子供を想定した抜け。
        
【自註】薄・根笹をわけわけて、里の童子(どうじ)、落葉をかく片手にさらへ*捨置き、目にかゝる紅茸(べにたけ)花茸によらず取集めて、細きかづらにつなぎて、草籠に付たるもこのもしき物ぞかし。一句に人倫(じんりん)*をむすばずして里の子の手業(てわざ)に聞えしを、当流仕立と、皆人此付(このつけ)かたになりぬ。
*さらへ=熊手のひとつ。 人倫=人間に関する分類概念をさす連俳用語。

【意訳】薄や根笹をかき分けかき分け、村里の子どもが落葉をかき、その片手間に熊手を捨て置き、目にふれる紅茸や花茸に限らず取集めて、それらを細いかづらに貫いてつなぎ、草刈籠にさしてあるのも、また趣のあるものである。一句に人情を入れず(抜け風に)里の子の仕業と知らしめたのを、最近の俳風*と心得、みんなこの付け方になった。

*最近の俳風(当流仕立)=藤村作『譯註 西鶴全集』は〈当流は談林派、仕立は付合作句の法〉、野間光辰『定本全集』は〈談林の「抜け風」・「飛び体」といふがこれ〉と注す。これに対し乾裕幸『芭蕉と芭蕉以前』は、当流を談林(宗因流)とするのは誤解で、当時の元禄正風体(疎句体)をさすのが正しいと指摘。しかし誤解されるのも無理からぬほど、元禄体には談林の抜け・飛びが活かされており、西鶴も元禄体を〈宗因流の延長上に捉えていた〉と付記する。さらにこれに対し今榮藏『初期俳諧から芭蕉時代へ』は、〈宗因風時代の抜けの手法の名残り〉が無いとはいえないが、〈宗因風時代には詞の知的遊戯を特色としたのにたいして、「心の俳諧」の趨勢のなかでまったく変質し、内容主義のものになっていた〉と元禄体を位置づけている。そして西鶴にもみられるこの内容主義が、〈蕉風とも通うところのあるもの〉と付言。談林から元禄体への流れを介して西鶴&芭蕉の俳諧が晩年に接近したことが述べられている。ともに談林を否定的媒介とし、アウフヘーベンした結果であろう。

【三工程】
(前句)寺号の田地北の松ばら
 
里の子の落葉を掻いてゐたりけり 〔見込〕
  ↓
落葉掻く片手に茸取集め     〔趣向〕
  ↓
色うつる初茸つなぐ諸蔓     〔句作〕

松原で村里の子ども達が落葉掻きをしていると見込んで〔見込〕、それだけに専心しているのかと問いながら、片手間に茸を取集めたりすると想定し〔趣向〕、その子ども(人物)を描かない「抜け」の手法で一句に仕立てた〔句作〕。

2023年10月16日月曜日

●月曜日の一句〔黒田杏子〕相子智恵



相子智恵






月に問へ生きて真澄の月に問へ  黒田杏子

句集『八月』(2023.8 角川文化振興財団)所収

三月に急逝した黒田の最終句集『八月』は、髙田正子ら「藍生」の連衆7名からなる刊行委員会によって、前句集『日光月光』以降の10年間の句が纏められた遺句集だ。

黒田は2015年に脳梗塞で倒れたが回復。掲句にはその実感もあるのだろう。言われてみれば何かを「問う」ことは、生きているうちにしかできない。これからも生きて、よく澄んだ月に問うべし、と自分に言い聞かせているのだ。この月への問いは、真澄の鏡(曇りのない鏡)のように自分に跳ね返ってくるのだろう。

掲出句の前の句は〈月光無盡蔵瞑りて禱るべく〉。月は見るものではなく、月には目をつむって祈るべし、というのも黒田の季語観をよく表しているように思う。〈月に問へ〉も然り。以前、こちらにも書いたが、季語を対象として詠むというよりも、抱いて取り込み、季語と人生が一体化していくのだ。その俳句人生がよく伝わってくる最終句集であった。

2023年10月13日金曜日

●金曜日の川柳〔中武重晴〕樋口由紀子



樋口由紀子






満五十今朝は早めに顔洗う

中武重晴

今日、私は満五十歳を迎えた。今朝はいつもより早めに顔を洗った。ただ、それだけの、きわめてプライベートな、私事の、只事の、川柳である。「満五十」が今よりもっと高齢に感じた時代である。

昨日と今日はなにも変わらないが、「顔を洗う」という毎朝の行為に「早めに」でなんらかの意味合いを入れる。とらえどころのない感覚を身体でまず認識する。満五十を無事に迎えることができたという安堵と、もうそんな年齢になったのかという感慨を、作者自身の内と外に語りかけている。私も今年年代が変わった。だから、その気持ちがなんとなくわかるような気がする。

2023年10月4日水曜日

西鶴ざんまい #50 浅沼璞


西鶴ざんまい #50
 
浅沼璞
 
 
 小判拝める時も有けり   打越
堀当て哀れ棺桶の形消え
   前句
 寺号の田地北の松ばら
   付句(通算32句目)
 『西鶴独吟百韻自註絵巻』(1692年頃)
 
【付句】二ノ折、表10句目。雑。
寺号=寺の称号がついた地名。 田地(でんぢ)=田圃のこと。

【句意】(お寺はなく)地名にだけ寺号が残った田地の、その北には松原がある。

【付け・転じ】打越・前句=身分ある人の棺桶と見なした無常の付け。前句・付句=寺域の跡地と見立て替えた其場の転じ。堀当て(結果)、寺号の田地(原因)と捉えれば逆付。
       
【自註】里の名に正覚寺(しやうかくじ)・薬師寺などいへる寺号は、何国(いづく)にもある事也。我住(わがすむ)在所ながら、此子細はしらず、年ふりけるに、棺の桶掘出したるにぞ、昔日の寺地(てらち)とは合点(がてん)いたせし。「北の松原」は何の事もなし。一句の風情也。あるひは道橋(みちはし)に文字の残る石をわたし、五輪の四角なる所*は、井のはたの桶の置物とぞなれる。気を付て見る程世はあはれにこそ。
*五輪の石塔の最下部、方形の部分をさす。

【意訳】村里の地名に正覚寺や薬師寺や、寺の号の付いている所は何処にでもあるものだ。自分の居住地ながら、地名の由来を知らず、年を経て棺桶を掘出し、昔は寺の敷地であったのかと納得申し上げる。「北の松ばら」と句に入れたのはどうという事もない。一句に風情を出すためである。たとえば道路の橋に、文字の残った石を渡し、五輪塔の四角い石などは井戸端の桶を置く台となったりする。意識してみるほど世は哀れだ。

【三工程】
(前句)堀当て哀れ棺桶の形消え
 
有りし寺院の墓地の跡てふ  〔見込〕
  ↓
子細の知れぬ寺号の田地   〔趣向〕
  ↓
寺号の田地北の松ばら    〔句作〕

前句から、昔は寺院の墓地があったと見込み〔見込〕、なぜそれが分かるかと問いながら、地名に寺号が残っているものと想定し〔趣向〕、「北の松原」で風情を添えた〔句作〕。


 
打越・前句の付けに関し、編集の若之氏より、〈この発想の展開には、「拝める」も関わっていそう〉との寸感をもらいました。
 
「そやな、小判拝む、から佛拝むの転じやな」
 
なるほど。あと〈上五の「て」が打越と共通しています〉という指摘もありました。たしか打越は〈住替て不破の関やの瓦葺〉でしたね。
 
「前にワシの俳論調べてもろたように、前句の腰の「て」は折合を気にするけどな、打越の腰はさほど気にせん」
 
あぁ番外編11ですね。腰っていうのは長句なら5・7・5、短句なら7・7の各末尾の「て」という事ですよね。
 
「そやな、腰痛で差し合うときにな、腰に手ぇ当ててしのぐ、あの動作と同じやで(笑)」
 
……。
 

2023年10月2日月曜日

●月曜日の一句〔吉田哲二〕相子智恵



相子智恵






続けては負けてやらざる草相撲  吉田哲二

句集『髪刈る椅子』(2023.8 ふらんす堂)所収

〈続けては負けてやらざる〉だから、作中主体自身が相撲をしていることが分かる。一度は負けてあげるというコントロールというか、演技ができる相手だから、自分よりもずいぶんと格下の相手だ。パッと想像されてくるのは、親子の相撲遊びである。

小さい子どもとの勝負事の遊びは、加減がなかなか難しい。本気で向かって負かせ続けてしまえば拗ねて泣くだろうし、子どもがずっと勝ち続けても、それはそれで面白くないのである。この句は絶妙なバランスで、最初に負けてあげて、次は自分が勝つ。

しかし、〈負けてやらざる〉には、徐々に本気になっていく大人の意地が見えてくるところが面白い。子どものためのサービスとしての遊びではなく、親子の両方が本気でこの場を楽しんでいるのだ。だんだんとヒートアップしていく、そのスイッチが切り替わる面白さがある。

2023年9月29日金曜日

●金曜日の川柳〔久保田紺〕樋口由紀子



樋口由紀子






百円で買った百円ほどの味

久保田紺 (くぼた・こん) 1959~2015

百円で買ったのだから、百円ほどの味はあたりまえで、別に二百円の味を期待したのでもなく、五十円の味でなくてよかったと安堵したわけでもない。感情はまったく入っていない。「ほど」に社会を見る姿勢が現れていて、「ほど」で世の中のすべてを埋めている。

人生のすべてはこういうものだということをすでに知っている。意味の了解性に向かいながら、アイロニカルなまなざしを感じる。あっさりとした語り口に諦念と寂寥が潜ませ、今の時代を生きている気分を表現している。『大阪のかたち』(川柳カード叢書 2015年刊)所収。

2023年9月22日金曜日

●金曜日の川柳〔中尾藻介〕樋口由紀子



樋口由紀子






人妻にハガキをすれば手紙くる

中尾藻介 (なかお・もすけ) 1917~1998

現代はSNSが全盛で、LINEの既読が気になり、ツイッターに「いいね」が即押しされる。掲句は時代を感じさせる川柳である。ハガキを出してから、手紙が来るまで、何日経っているのか。しかし、ほんの少し前までは、たぶん今の人には考えられないくらい悠長な世の中だった。それでもさして不便とは感じなかった。

一昔前のちょっと面倒くさい話である。「ハガキ」が「手紙」に変わったところがポイントだろうか。そもそも「人妻」にハガキを出すだけで意味深なのに、手紙がくる。さて、どうなるのか。他人事ながら気になる。『中尾藻介川柳自選句集』(1987年刊)所収。

2023年9月18日月曜日

●月曜日の一句〔中岡毅雄〕相子智恵



相子智恵






鳥のこゑみなあかるくて栗を剝く  中岡毅雄

句集『伴侶』(2023.8 朔出版)所収

栗を剝くのは、指は痛くなるし、結構大変な作業だ。黙々と剝いているのだと思う。その作業の間には、ただただ鳥たちの明るい声が聞こえている。

一句は、明るい鳥の声から出発し、下五で因果のない〈栗を剝く〉という急な場面転換(だからといって唐突な取り合わせではなく、確かな実感がある転換だ)を迎える。この展開によって、栗を剝く近景のほかに、里山の栗の木と青空が脳裏に浮かんできて、なんとも言えず穏やかな気分になる。このような静かで明るい句は、作れそうで作れない。作為のない、けれどもふいに大きな詩的驚きがやってくる、心地よい一句である。

2023年9月15日金曜日

●金曜日の川柳〔兵頭全郎〕樋口由紀子



樋口由紀子






予想屋の声の震えをとっておく

兵頭全郎 (ひょうどう・ぜんろう) 1969~

予想屋とは、公営競技の場内において競走(レース)の着順を予想し、その情報を販売する人である。しかし、ここでは、世界の、人生の予想をする人のような気もする。声の震えとはよくないことがあるというのか。それとも飛び切りの吉報なのか。

どちらにせよ「とっておく」だけで一句を成立させる。予想の内容を確認したり、理由を探ったりするのではなく、胸の内にとりあえず仕舞う。「とっておく」の動詞が慎重に選ばれている。微妙な位置に言葉を置いて、落差をつけて、雰囲気を巧みに誘導する。現実と物語の距離を取りながらタイアップする。読み手は宙吊りにされたままで終わる。

2023年9月13日水曜日

西鶴ざんまい #49 浅沼璞


西鶴ざんまい #49
 
浅沼璞
 
 
住替て不破の関やの瓦葺   打越
 小判拝める時も有けり   前句
堀当て哀れ棺桶の形消え   付句(通算31句目)
『西鶴独吟百韻自註絵巻』(1692年頃)
 
【付句】二ノ折、表9句目。雑(無常)。
堀当(ほりあて)=田畑を耕していて掘り当て。 形(かたち)=遺体の形。

【句意】掘り当てた棺桶は、哀れにも遺骸が消えていた。

【付け・転じ】打越・前句=不破の関の現況から懐旧(および病体)への付け。前句・付句=懐旧(および病体)から無常への転じ。
       
【自註】むかしは棺に形を入るる時、よしある人は金銀、又は朱うるしにてかためけるといへり。其の時代過ぎて、ふるき塚はすかれて田と成り、野夫(やふ)の鋤にあたりて、此の世の風に形は消え行き*、金(こがね)はくちせず残りし。是は只人(ただびと)ならず、と心なき身も拝しける付寄せ也。
*文選(もんぜん)を引用した『徒然草』第三十段の類似箇所を、さらに西鶴は援用しており、いわば「引用の連鎖」となっている。

【意訳】大むかし棺に遺体を納める時、身分のある人は金銀を納め、朱漆で(棺を)塗り固めたという。その時代が過ぎて、古い墓地は鋤かれて田地となり、農夫の鋤に当たって(棺は壊れ)、外気にふれた死骸は消えゆき、金銀は朽ちずに残ったのだった。これは庶民ではない(高貴なお方の棺)、と分別のない者も拝んだ(という風な)付合である。

【三工程】
(前句)小判拝める時も有けり
 
田を鋤けば只人ならぬ棺桶ぞ 〔見込〕
  ↓
堀当し棺桶にはや形なく   〔趣向〕
  ↓
堀当て哀れ棺桶の形消え   〔句作〕

前句「小判」を副葬の金品に見立て替え〔見込〕、遺骨はどんな状態かと問いながら、すでに消えたものと想定し〔趣向〕、それに対する「哀れ」の心に焦点を合わせた〔句作〕。


 
懐旧から無常への転じって紛らわしいですね。
 
角川『俳文学大辞典』によると〈連歌では、述懐・無常・懐旧に属する句はまとめて三句まで連続できる〉らしいんですが。
 
「そやな……ワシもそんな感じやで」
 
ただ東京堂『連句辞典』によると懐旧は〈昔のことを思い出しなつかしむこと〉で、無常は〈一句中に死葬に関する語句があったり、一句としてその意味があるもの〉で、厳密にはベツモノらしいんですが。
 
「連句いうのは後世のことやろ。俳諧では連歌の式目、まだまだ残っとったからな」
 
なるほど、時代が下るにしたがって分類化が進んだってことでしょうか。
 
「あのな、死後のこと、ワシに訊いてどないすんねん」
 

2023年9月11日月曜日

●月曜日の一句〔杉山久子〕相子智恵



相子智恵






きりぎしの月光を吸ひつくしたる  杉山久子

句集『栞』(2023.9 朔出版)所収

海辺の断崖絶壁を思う。美しい句だ。海面は白波が月光を反射して輝いている。陸地もまた、草花を月明かりが照らしているのだろう。海から垂直に切り立った切岸の岩だけが黒く、そこだけが月光を吸い尽くしてしまったかのように暗い。夜の中にある明暗。〈吸ひつくしたる〉から見えてくる切岸の空間的な大きさと厳しさ。一点の闇を見せて、月の明るさを感じさせた。スケールの大きな、鮮やかな一句である。

2023年9月8日金曜日

●金曜日の川柳〔峯裕見子〕樋口由紀子



樋口由紀子






オルガンをぶかぶか弾いて夢の父

峯裕見子 (みね・ゆみこ) 1951~

娘にとって父親は複雑である。母親のように好き嫌いや善し悪しの感情で割り切れないものがある。自分の欠点や物腰や癖が呆れるほどに父と似ていたりもする。一体、父をどう思っていたのか、自分でも説明できないところがある。

現実より夢の方が感覚的にリアルで、質感や体感を通して、父をどのように見ていたかと思い知らされる。「オルガンをぶかぶか弾いて」は一般的な「父」のイメージからは逸脱している。「ぶかぶか」と弾く父よりも、「ぶかぶか」と聞こえてしまう娘の方にこだわりと屈折がありそうである。「ぶかぶか」のオノマトペを効果的に使って、もう会えない「父」を川柳の器に入れた。「峯裕見子オリジナルカレンダー2022」収録。

2023年8月30日水曜日

西鶴ざんまい #48 浅沼璞


西鶴ざんまい #48
 
浅沼璞
 
 
 歌名所見に翁よび出し   打越
住替て不破の関やの瓦葺   前句
 小判拝める*時も有けり*  付句(通算30句目)
『西鶴独吟百韻自註絵巻』(1692年頃)

【付句】二ノ折、表8句目。雑(懐旧)。 小判=金貨のひとつ。一枚で一両。
*〈往古は小判珍しきこと、「慶長見聞集」巻六「其比(天正中)金一两見るは、今五百两千两見るよりもまれなり」〉(定本全集・頭注)
*平句の「けり」については番外篇11(http://hw02.blogspot.com/2022/10/11.html)に詳述。

【句意】かつては(珍しかった)小判を拝んだ時代もあったなぁ。
(自註には、病人が小判を拝む風習への言及もあり。)

【付け・転じ】打越・前句=阿古屋松の現況から不破の関の現況へ。前句・付句=不破の関の現況から懐旧(および病体)への転じ。
       
【自註】近年、世の人、それぞれに奢りて、衣食住の三つの外に十種香(じしゆがう)の会、楊弓(やうきう)のあそび、立花(りつくわ)、能はやし、面々の竈将軍*。我が広庭(ひろには)に御所車を拵へての遊楽も外よりとがむるなし。むかし、黄金(こがね)いたゞかせければ、大かたなる病ひはなほりける*、と也。
*竈(かまど)将軍=家の中だけで威張る主人(諺)
*「病人に小判の削屑を煎じて飲ませ、臨終の際小判を拝ます話あり」(定本全集・頭注)

【意訳】近ごろ世間の人は、それぞれ身分に応じて贅沢になって、衣食住という三つのほかに、お香の会を催したり、遊戯用の小弓に興じたり、生け花、お能とお囃子*。おのおの一家の主、自分の玄関先に牛車を誂えての遊楽も他人にとやかく言われることはない。むかしは黄金を頂かせれば、たいがいの病気は治ったということである。
*贅沢の具体例については『西鶴織留』(1694年)に類似の記述あり。

【三工程】
(前句)住替て不破の関やの瓦葺

むかしの事の懐かしきかな 〔見込〕
  ↓
むかし小判の懐かしきかな 〔趣向〕
  ↓
小判拝める時も有けり   〔句作〕

前句「住替て」に懐旧の念を感じとり〔見込〕、どのような懐旧かと問いながら、小判が珍しかった時代に思いを馳せ〔趣向〕、「拝む」という行為に焦点を絞った(病人が小判を拝む風習も重ねつつ)〔句作〕。


 
自註のラスト、病人が小判を拝む風習って唐突な感じがしますけど。
 
「住み替ってな、瓦葺にするんは衣食住のうちやけど、香や弓、お花やお能いうんは贅沢千万。そないして歳とって病になってな、漸う小判のありがたさが判るいうこっちゃ」
 
そういえば新編日本古典文学全集の注にも〈一般に黄金に延命の効果があると信じられていた〉と書かれてますね。
 
「そやろ。そやから千金丹・万金丹いうんやで」
 

2023年8月25日金曜日

●金曜日の川柳〔山本半竹〕樋口由紀子



樋口由紀子






台風はやっぱり外れた西瓜食う

山本半竹 (やまもと・はんちく) 1899~1976

昔は台風が来るというとその防備にたいへんだった。父は会社を早退してきたこともあった。窓に板を貼り付けたり、水を溜めたり、子どもは早くから寝床に入らされた。

「台風」と「西瓜」は夏の風物詩である。それを「やっぱり外れた」というなんとも言えないつぶやきで接続し、台風が外れたことを安堵する。天気予報も今ほど精巧ではなく、予報が外れることも多々あった。「やっぱり」だから、たぶん来ないだろうと思っていても、万が一のために備えていた。しかし、ムシムシとした暑さは残る。よく冷えた西瓜は美味しいけれど、一雨も欲しい。『はんちく』(『はんちく』刊行会 1977年刊)所収。

2023年8月21日月曜日

●月曜日の一句〔仲寒蟬〕相子智恵



相子智恵






野分雲神の垂れ目がのぞきけり  仲 寒蟬

句集『全山落葉』(2023.7 ふらんす堂)所収

野分は秋の暴風のことで主に台風の風を指すが、台風よりもはるかに古い言葉だ。10世紀前後の『敦忠集』の和歌にも出てくる。天気図や衛星写真を見ることのできる現代とは違い、台風の正体を知らなかった昔の人々にとって、野分は、ただただ野の草を分けて吹き荒れる理不尽な暴風であったことだろう。

掲句は、台風の正体を知った後の我々が描く野分の句として興味深い。台風の雲の渦にはいわゆる「目」があるという科学的な見方が、〈神の垂れ目がのぞきけり〉のイメージには重ねられている。衛星で雲を上から見下ろせる私たちが、神の目よりもはるかに上空からの視点を内蔵しながら、その雲を〈野分雲〉として地上から見上げている。上からと下からの視点の混在と、野分と台風という新旧の感覚の混在の面白さ。

それにしても、ただの概念的な「神の目」にしなかった、この〈垂れ目〉のぶよぶよとした現実味と、〈のぞきけり〉の薄気味悪さがいい。台風の様子を上空から観察できるからといって、私たちはその威力からは逃れられない。その不気味さ、抗えない大きさを感じさせてくれる。

2023年8月18日金曜日

●金曜日の川柳〔金築雨学〕樋口由紀子



樋口由紀子






妻の実家で縄跳びをして過ごす

金築雨学 (かねつき・うがく) 1941~2020

お盆の帰省かなにかで妻の実家に来ていて、妻は久しぶりに会った両親や兄弟と楽しそうにしている。子ども頃の話や夫の知らない親族の話など、家の中はにぎやかで、ときおり大きな笑い声も聞こえてくる。しかし、夫は庭で縄跳びをしている。話に入れないし、邪魔をしてもいけない。夫の心情をなんとなく伝えている。

まだまだ強い男が幅をきかせていた時代に、図式的な夫像を反転させた。こんなことはまずないという前提に立ち、それを逆手にとって、新しいキャラクターの夫を作り上げた。不器用でやさしい夫は徐々に人気を博してくる。『川柳作家全集 金築雨学』(新葉館出版刊 2009年)所収。

2023年8月16日水曜日

西鶴ざんまい 番外篇16 浅沼璞


西鶴ざんまい 番外篇16
 
浅沼璞
 

文学史的には町人作家と言われる西鶴ですが、そんな彼と縁の深い展示が三井記念美術館(日本橋)で開催中です。
 
越後屋開業350年記念特別展「三井高利と越後屋」―三井家創業期の事業と文化―
 
会期は6/28~8/31ということで、猛暑のなか、足を運んでみました。


図録の章立てを参考に展示を分類すると――
Ⅰ 黎明期の人々と遺愛品
Ⅱ 創業期の歴史と事業
Ⅲ 享保~元文年間の茶道具収集
Ⅳ 三井家と神々
という感じです。


Ⅰで愚生の目をひいたのは『釘抜(くぎぬき)越後屋店頭之図』。

三井の暖簾印といえばあの「丸に井桁三」が浮かびますが、江戸本町で開業の頃は「違い釘抜紋」だったようで、その暖簾印のある黎明期の店頭風景が描かれています。


Ⅱには『江戸京都浪花三店(さんたな)絵図』というのがあり、タイトルどおり三都(江戸・京都・大坂)の越後屋の外観が一幅一店舗ずつ描かれています。
 
江戸店は駿河町(今の日本橋)に移転後のもので、呉服店と両替店が向かい合った先には雄大な富士山が描かれています。その江戸と大坂(浪花)では今につながる「丸に井桁三」の大暖簾がかけられているのですが、京の本店(ほんだな)は無地の大暖簾で一見地味な印象を受けます。とはいえ本店の絵画はほとんど残っておらず、貴重な一幅とのこと。


またⅡには西鶴の版本『日本永代蔵』もありました。
 
巻一から六まで全6冊が展示され、2代目高平を描いた巻一ノ四「昔は掛算(=掛け売り)今は当座銀(=現金売り)」のページが見開きで置かれていました。
 
ツケが当たり前の時代に「現金、切り売り、掛値なし」のデパート商法を導入したのが2代目高平でした。西鶴はそのモデル小説を書いたわけです。
 
〈三井九郎衛右門*といふ男、手金の光り(=所持金の威力)、むかし小判の駿河町といふ所に、おもて九間に四十間(≒16mに72m)に、棟高く長屋作りして、新棚を出だし、よろづ現銀売りに掛値なしと相定め……〉*正しくは八郎右衛門高平。


Ⅲを飛ばしてⅣでは隅田川東岸、向島の三囲(みめぐり)神社に関する資料が目をひきました。三囲神社は越後屋(駿河町)からみて鬼門除けの位置にあり、三井家の信仰対象となったようです。
 
まずは西鶴と親交のあった宝井其角の、その有名な雨乞いの句短冊に目をとめました。
 
夕立や田を見めぐりの神ならば
(旱が続いているが、田を見めぐるという名の神なら、夕立を降らせてくれよう)
 
これを詠んだ翌日、じっさい降雨となり、その評判からパワースポットになったとの由。それかあらぬか隅田川沿いの寺社や古跡を描いた絵地図の摺物の、その三囲稲荷の下には其角の発句が多行形式で引き写されていました(こちらは「田も」の句形でしたが)。
 
むろん周囲に描かれているのは文字どおり田んぼばかりの風景です。


残暑厳しき折、江戸の風に吹かれてみるのもまた一興かと。

2023年8月11日金曜日

●金曜日の川柳〔草地豊子〕樋口由紀子



樋口由紀子






ちゅうちゅうアイス今日は八月十五日

草地豊子 (くさち・とよこ) 1945~

暑いのでちゅうちゅうアイスを吸っている。今日は八月十五日。「八月十五日」が持っている重みが「ちゅうちゅうアイス」の甘さと冷たさと重なり、照らし出す、と、なんとか辻褄を合わせて心情的に読んでみようとしたが、軽くいなされる。しいて結びつけるなら、ふつうに生活できることのありがたさだろうか

「今日は八月十五日」と並べた「ちゅうちゅうアイス」は迫力がある。はぐらかされながら、はっきり見えないもやもやが立ち上がってくる。意図しないような演出がもっとも意図的な演出になる。『セレクション柳人 草地豊子集』(邑書林 2009年刊)

2023年8月7日月曜日

●月曜日の一句〔山口昭男〕相子智恵



相子智恵






とくとくと犬の心臓村昼寝  山口昭男

句集『礫』(2023.6 ふらんす堂)所収

犬の心臓がトクトクと脈打っている。抱いているのか、腹を撫でているのか、手や体越しに鼓動が伝わっているのだろう。

ここで場面は〈村昼寝〉と大きく転じる。一村が皆昼寝をしているような静かな午後のひとときだ。農作業や漁業が主な生業の村ならば、皆がほぼ同じスケジュールで仕事をするだろうから、この〈村昼寝〉の大づかみな把握もよくわかる。ここまで読んで、犬も寝ているのかもしれないなと思った。そうすると、作者もまた犬のそばで横になっているのかもしれない。

犬の心臓の音という小さい世界から、〈村昼寝〉という思いがけない大きな下五への展開。その下五によって、例えば犬の種類や描かれない人々の様子までが想像され、場面がきっちり再設定されてくる見事さ。展開が鮮やかな一句である。

2023年8月2日水曜日

西鶴ざんまい #47 浅沼璞


西鶴ざんまい #47
 
浅沼璞
 
 
覚えての夜とは契る冠台   打越
 歌名所見に翁よび出し    前句
住替て不破の関やの瓦葺   付句(通算29句目)
『西鶴独吟百韻自註絵巻』(1692年頃)
 
【付句】二ノ折、表7句目。雑。 住替(すみかへ)=住む人が代替りして。*草の戸も住替る代ぞひなの家(芭蕉・おくのほそ道) 不破の関や=律令制下の関所。荒廃の趣を詠む歌枕。*秋風や藪も畑も不破の関(芭蕉・野ざらし紀行)

【句意】住む代が変わって不破の関屋も立派な瓦葺となった。

【付け・転じ】打越・前句=定家の恋の面影から実方の歌枕探訪に連想を広げた。前句・付句=阿古屋松の現況から不破の関の現況へと転じた。
       
【自註】古哥*にも不破の関屋の板びさしは軒端のあれて、月影のもりて侘しき宿のありさまを読み給へり。次第に栄えて、家作り都めきて*、女は琴、男は鼓の音の奥ぶかう聞えし。
*「人住まぬ不破の関屋の板廂荒れにし後はただ秋の風」(藤原良経・新古今集)
「秋風に不破の関屋の荒れまくも惜しからぬまで月ぞ洩り来る」(藤原信實・新後撰集)
*「昔、わら葺の所は、板びさしとなり、月もるといへば、不破の関屋も、今は、かはら葺に……都にかはる所なし。」(世間胸算用・巻五ノ一)

【意訳】古い歌でも、不破の関屋の板びさしが、年を経て荒れ果て、その軒端から月光がもれるという、侘しい宿の様子をお詠みになられた(歌人が幾人かいた)。それでも次第に復興し、家の作りも都風になり、女性は琴、男性は鼓の奥深い音を奏でるのが、家の奥の方から聞えてきた。

【三工程】
(前句)歌名所見に翁よび出し

代替る不破の関やのまた栄え 〔見込〕
  ↓
都めく不破の関やの家作り  〔趣向〕
  ↓
住替て不破の関やの瓦葺   〔句作〕

前句「歌名所」を不破の関とみて〔見込〕、現在はどのような有様かと問いながら、都風の家の作りに思いを定め〔趣向〕、瓦葺という題材に焦点を絞った〔句作〕。


 
前回は歌人つながり、今回は歌枕つながりで微妙にズレてますが、前句のウタマクラ5音を、おなじ5音のウタメイショと言い換えてるのはどうしてですか。
 
「なんやろな、……そんなん忘れたがな」
 
そういえば編集の若之氏のメールに〈「歌枕」だと打越の「寝㒵」にさわるからなのでしょうね〉とありましたが……。
 
「成程やな……流石やな。そーしとこか」
 

2023年7月31日月曜日

●月曜日の一句〔黒田杏子〕相子智恵



相子智恵






日光月光すずしさの杖いつぽん  黒田杏子 『日光月光』

髙田正子『黒田杏子の俳句 櫻・螢・巡禮』(2022.8 深夜叢書社)所収

元は『日光月光』(2010.11 角川学芸出版)所収の有名句。抽象度が高く、口承性がよくて、連日の暑さの中でふっと思い出す句だ。日の光の中も、月の光の中も一本の杖(遍路杖とされる)を頼りに歩いていく。その一本の杖の涼しさ。

髙田正子氏による黒田杏子論で、黒田にとっての「涼し」の季語について興味深い記述があった。

(筆者註:黒田杏子の句の)分類作業を続けながら気づいたことの一つに、熟成に時間のかかった季語ほど、頻繁に詠まれるようになる、ということがある

「涼し」は、第三句集『一木一草』になって初めて出てくる季語だそうだ。それ以降、句集の中での登場回数が増えていく。髙田は黒田のエッセイ集『花天月地』(2001年 立風書房刊)の中の「涼し」というエッセイの結びの言葉を紹介している。

ひとつの季語が、ひとりの俳句作者の中で変容してゆく。藍甕の中で蒅が生成発展してゆくように。私自身がそのゆたかな藍甕となれることを希って、季語を抱いてゆきたい

季語が「作者の中で変容」するものであり、「自分が藍甕となって季語を抱いてゆく」という言葉が私には面白く感じられた。季語との付き合い方、あるいは戦い方は俳人によって実に様々で、「季語とは」の答えはまさに百人百様なのだが、黒田にとっての季語は明確に詩嚢なのだろう。一つの季語で発表された五十句などの大作をたびたび目にしてきたが、なるほどと思うところがあった。

2023年7月28日金曜日

●金曜日の川柳〔石田柊馬〕樋口由紀子



樋口由紀子






小芋一トン注文したまま母逝きぬ

石田柊馬 (いしだ・とうま) 1941~2023

まるで漫画である。母が死んだというだけでもたいへんなのに、死後に小芋が一トンも届けば、どうしたらいいのかわからなくなる。生前に母が注文したらしいが、死人に理由は聞けないし、文句も言えない。代金だって、半端ではない。泣いて、驚いて、怒って、戸惑う。母の死より、小芋のことで頭がいっぱいになる。

母恋や母物の型にはまらない、まったく固有の存在感のある母を書いた。母のことはわかっていたと思っていたが、すべてを理解できていたわけではなかった。母とはナニモノだったか。滑稽のなかに哀しさがあり、とても変なトーンで描き出している。『ポテトサラダ』(KON―TIKI叢書 2002年刊)所収。

2023年7月21日金曜日

●金曜日の川柳〔湊圭伍〕樋口由紀子



樋口由紀子






父役はとろろこんぶをつけて出る

湊圭伍 (みなと・けいご) 1973~

なぜ、そういう事態になったのかというよりは、ここから物語は始まる。父役がとろろこんぶをわざわざつけて出てきた。それは頭か、顔か、肩か、足か、どこかにあのふわっとして、べちゃとした、目立たないようだが、しっかり存在をアピールするとろろこんぶをつけている。

ありえなくはないが、一風変わった登場の仕方である。視点をズラす。そのちょっとしたズレから、歪みから、だんだんとゆっくりと、普通のようでいて、けったいな日常へと連れ込まれる。おやっ、えっ、と思っているうちに舞台はとんとんと楽しく進行し、もう一つの世界と繋がっていく。

2023年7月19日水曜日

西鶴ざんまい #46 浅沼璞


西鶴ざんまい #46
 
浅沼璞
 
 
飛込むほたる寝㒵はづかし  打越
 覚えての夜とは契る冠台  前句
歌名所見に翁よび出し    付句(通算28句目)
『西鶴独吟百韻自註絵巻』(1692年頃)
 
【付句】二ノ折、表6句目。雑。恋離れ。 歌名所=歌枕。 名所⇔老人(俳諧小傘)。

【句意】歌枕探訪のため、その土地の古老を呼び出し。

【付け・転じ】打越・前句=藤原定家の恋の面影。前句・付句=「冠」から藤原実方の面影(後述)へと転じ、歌枕探訪に材をとった恋離れ。

【自註】むかしは歌読むたね、東路の果(あづまぢのはて)、筑紫の末(つくしのすゑ)までも、花の山、月の海、いやしき草の屋に明し、其(その)所の老いたる人に、形絶えて名計(ばかり)残れる*跡までも見めぐり、哥枕の種とぞ成にける。
*「朽ちもせぬその名ばかりをとどめ置きて枯野の薄形見にぞ見る」(山家集・新古今集)=西行が実方の塚で詠んだ一首

【意訳】むかしは歌を詠む題材として、東は関東から奥羽、西は九州の端までも、花で知られた山、月で有名な海(を求め)、賤しい茅屋で夜を明かし、土地の老翁に(たずね)、風光絶えて名ばかり残る古跡を見てまわり、歌枕の手掛かりとしたのである。

【三工程】
(前句)覚えての夜とは契る冠台

 歌枕みて参れと言はれ   〔見込〕
  ↓
 名ばかり残る阿古屋の松へ 〔趣向〕
  ↓
 歌名所見に翁よび出し   〔句作〕

前句「冠」から藤原実方の面影*へと飛び〔見込〕、どのようなエピソードがあったかと問いながら、「阿古屋の松」を扱い〔趣向〕、土地の古老という題材に焦点を絞った〔句作〕。

*【先行諸注】〈謡曲「阿古屋松」のワキ藤原實方、シテ老翁(鹽竈明神)を呼び出して阿古屋の松の故事を問ふ。實方は宮中にて藤原行成の冠を打落して勅勘を蒙り、歌枕を尋ねて參れとて奥州に左遷せられしといふ。〉〔定本西鶴全集(野間光辰氏・頭注)〕
〈実方の説話(無名抄・下、古事談・二)により、前句の「冠」に謡曲「阿古屋の松」の場面を趣向した付け。珍しく疎句付けとなっている。〉〔新編日本古典文学全集(加藤定彦氏・後注)〕


 
たしかに謡曲や説話では「阿古屋の松」をたずねあぐねた実方が、地元の老人から故事を教わるっていう場面がありましたね。
 
「そや、歌人つながりで定家から実方に飛ばしたんや」
 
飛び躰による疎句付けですね。
 
「ま、学者さんがどう読んだかて自由やけど『珍しく』いうんは気に入らんな」
 
あー、そっちですか、ひっかかるのは。