猫も歩けば類句に当たる 第3回〔上〕
猫髭
生まれた途端、四方に七歩ずつ歩み、右手で天を左手で地を指して「天上天下唯我独尊」とのたまわる赤ん坊はお釈迦様くらいなもので、人間だけは生まれてから一年間は親にすがる間に親の真似をして色々な事を覚えるなかに言葉もある。したがって、真似る事から言葉を覚えることが始まるから、意識的無意識的に関わらず、発生史的には自分の言葉は親の財産目録の中にあり、それらの中から自分の分に合った言葉を選んで行く。厳密に言えば、三橋敏雄が言うように、「私には、私ひとりの言葉というものはない」。また、そういう自覚があるから、
戦争と畳の上の団扇かな
戦争にたかる無数の蝿しづか
あやまちはくりかへします秋の暮
といった、渡辺白泉の作品や原爆碑の言葉を下敷きにして詠まれてはいるが、三橋敏雄はオリジナリティのある俳句を残したと言える。
多かれ少なかれ、顧みれば誰もが自分の使う言葉の出自は知っていると言える。俳人というのは、言葉のプロだから、当然、言葉の出自については一般人より敏感である。
小説家車谷長吉が、小説だけ書いていればいいものを何を血迷ったか俳句を載せ、その中の二句を「盗作」として、恩賀とみ子が「器の小さい人」とか「泡沫作家の類」とか、言わずもがなのゴロを巻いたために、車谷が切れてしまったことがある。
青芒女の一生透き通る 車谷長吉
青蘆原をんなの一生透きとほる 橋本多佳子
ふところに乳房ある憂さ秋暑し 車谷長吉
ふところに乳房ある憂さ梅雨ながき 桂信子
まあ、これだけ見れば、スーパー・エディターの安原顕の「小説に比べたらゴミよ」という発言には全く同感だったが、裁判沙汰にまでなったのは不毛としか言い様が無い。
売り言葉受けてたつべくマスクとる 亀田虎童子
といった中傷合戦に終始したため、類句の問題については話が逸れてしまったが、車谷長吉の「かつて読んだ句が無意識の記憶となり、他人の言葉がある時自分の言葉として出て来た」と言う弁明は解せなかった。
これは子規が『松蘿玉液』で述べた「不明瞭なる記憶」に近い弁明だが、わたくしは車谷長吉がデビューした時から、この文体の創造が困難な時代に、よくぞここまでオリジナリティ溢れる文体を創造したものだと驚嘆して愛読し続けていたから、彼が骨身を削るようにどれだけ文体にこだわっているかは知っている。異分子を受け付けるような文体ではないのだ。毒の無い文章を彼は書かない。そこまで意識的に文体にこだわる男に「無意識の記憶」という弁明は似合わない。この類句を彼が見過ごしたとしたら、それは彼が奥さんの詩人高橋順子と二人俳句をやって遊ぶ「毒の無い時間」が見過ごさせたものだろう。
子規の蓼太評をもじれば、「長吉といふ人もとより正直の男にはあらねどさりとて古句を剽窃して尻尾をあらはすほどの馬鹿にもあらざるべければ、或は不明瞭なる記憶はこの句を自己の創意と誤認したるにやもあらん」といったところだが、新潮社の編集も校正時に目配りが足りなかったという気もする。
(明日につづく)
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