2009年3月30日月曜日

●B.U.819企画「呼ばれなかった私達が勝手に祝う週刊俳句101号」を読む

B.U.819企画「呼ばれなかった私達が勝手に祝う週刊俳句101号」
を読む


さいばら天気


B.U.819企画「呼ばれなかった私達が勝手に祝う週刊俳句101号」(2009/03/29リリース)、佐藤文香さんの「後記」に次のようにある。
ほんとは、「ウラハイ」に寄稿しようと思ったんですけど、
あ、喉から手が出るほど欲しかった。
なんだかもったいなくなって(笑)、
自分のブログに載せました。
わかります。
みなさんありがとう!!
良いお友だちをお持ちです。
そして、週俳101号おめでとう!!
誠にありがとうございます。











では、さて、読みます。

熊蜂の桜をまへにしてゐたる  生駒大祐
熊ん蜂の複眼いっぱいに桜。これは壮観。

春昼の無音のなかを天守閣  中村安伸
天守閣が天空へとゆっくりと離陸していく感じ。しかも無音のなかを無音で。かつて稲垣足穂があれほどまでに愛した天守閣のセクシーな宇宙性をいままた目にするとは! 至福の瞬間。

ざばざばと百一個目の山笑う  松野ひかる
百ではなく百一というのが新しい始まりを言い得てめでたい(200個目へ何千個目へと山は笑い続ける)。「ざばざば」とのオノマトペは意表と納得の良きバランス。耳のなかで気持ちよく響き続けます。

シェパードを連れて火星の話など  山口優夢
ヒューストン詠の一句。ぴんと姿勢の良いシェパードとその主。20世紀の最も優雅な点景のひとつ。

さくらさくらきみのにゆうりんともちがふ  PrinceK
さくらもふたつ、にゆうりんもふたつ、けれども、ものの峻別はする。ていねいで誠実な愛し方。

空間や吊られて回る銅の三日月  佐藤文香
空間も時間(月が回る)も、ひょっとするとそれほど違わない。どちらも私や私たちには茫漠として、貧相な想像の外へ外へと逃げてしまう。けれどもときどきそのふたつともが掌中に収まったかのような錯覚が得られたりもする。それは、とある一句によって。

1 件のコメント:

  1. さっそく読んでいただき、ありがとうございます。
    石原ユキオさんのブログ「石原ユキオ商店」で、漫画ともコラボしていただきましたのでご覧ください。→「勝手に祝ってるやつと勝手にコラボ。」

    今まで何度も「ウラハイ」に寄稿しようと考えているんですが、自己満足すぎる、とか、いらぬ心配や迷惑をかけそうだ、とか、書き始めたら他の媒体に寄稿できそうだとかの理由で、もう一人の自分に却下され続けています。

    とはいえ、いつかは何か書かせていただきたく。

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