2009年4月17日金曜日

●中嶋憲武 二国

〔中嶋憲武まつり・第6日〕
二国

中嶋憲武


武蔵新田の駅で降りた。

くちぶえふいて、あきちへいった的な感覚である。

ただなんとなく小さい頃かかわりのあったあたりを歩いてみたかったのだ。

武蔵新田には親戚があったが、いまは八王子の在に住んでいる。その家のあったあたりへ、かすかな記憶を辿りながら行ってみたが、まったく変わってしまっていて、玄関先のオシロイバナも忽然と消え失せていた。無理もない。もう30年ほど月日が流れてしまったのだ。

しょんぼりとして、環状八号線へ出て、第二京浜にぶつかったところで曲がる。

この辺のひとは、第二京浜を二国(にこく)と呼んでいる。むかしフランク永井が、「つらい恋ならネオンの海へ 捨てて来たのに忘れてきたに バック・ミラーにあの娘の顔が浮かぶ夜霧のああ第二国道」と歌った道路だ。

とぼとぼと二国を北上。池上へ向かう。

池上線の鉄橋の手前を折れて、駅前へ。駅前の商店街には、父方の親戚が4軒並んでいるが、今日は素通り。御免。

小学校へ上がる前まで住んでいた家のあたりを目指す。母とよく買い物に来た綱島さんはそっくりそのまま残っていた。床屋のかわなさんも。お菓子を買いに行ったハヤシヤさんもそのまま。ポール・マッカートニーが「ペニーレーン」を作った動機は、こんな気持ちのときだったのかな、と心のかたすみで2秒くらい思う。

池上本門寺の先祖代々の墓へお参りし、広い公園のなかを熊笹をかさかさ言わせながら、とぼとぼ。池上梅園の前を通るが、すでに梅は散っていた。

しょんぼりとして、またまた二国にぶつかる。これをさらに北上することにし、馬込を目指す。

二国から馬込のバス通りへ入り、大森十中前のバス停を折れてだらだら坂を上がり切ったところが、通っていた幼稚園。坂を上がっているとき雨が降ってきた。春雨じゃ、濡れて参ろうなどと、高を括っていたが雨は「じゃ、濡らしてやろうじゃないの」と言うとだんだん激しくなってきた。すっかり驟雨。

リュックから折りたたみ傘を出して差す。斜めに降って身体が濡れるので、まったく変貌してしまった幼稚園のファサードの軒先を借りる。

幼稚園のまん前は、おさな馴染みのYちゃんのお屋敷。Yちゃんの家へはよく遊びに行った。幼稚園の軒先からも見える芝生の庭で、泥だらけになって遊んだ。いくら目の前に家があるからとて、手みやげも持たず、突然お邪魔するわけにも行かず。Yちゃんは10年ほど前、銀座の三人展にぼくの絵を観に来てくれた。それ以来、まったく音沙汰もない。

雨は小降りになった。幼稚園の外観は変わってしまったが、庭のケヤキはそのままだった。

二国沿いのジョナサンズへ入って遅い昼食を取る。ドリンクバーの前に佇み、今度Yちゃんに手紙でも書こうと思った。

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