〔中嶋憲武まつり・第21日〕
シモキタ
中嶋憲武
下北沢へいった。
晩春の夜、知人の家の水槽の水替えを手伝った。水槽の水は生温かった。水槽の水がだんだん下がると、小さな魚たちは口々に、天井が下がってくるよ、どうしよどうしよ、この世のおわりだーと言っているように見え、水を入れて水位がだんだん元の通りになると、魚たちは勢いよくのびのびと泳ぎはじめ、新しい朝がきた、希望の朝だ、きゃははははと笑っているように見え、その明暗の落差が傍目に見ていておもしろいのであった。
知人の家を出るとき、ついでに頼まれてくれろと、帰る途中下北沢のレンタル屋へDVDを返すよう言われて、てくてく夜道を歩いていった。
途中、「すかんぽ」という小さなバーがあった。とても繁盛しているようだった。また「AVRIL」という明るい雑貨屋があった。店員が店頭に座り込んでヒマそうにしていた。
下北沢は学生の頃、よく来た町だ。行くのはたいてい決まってレコファン。そこで長い時間をかけて中古レコードを探す。これはという掘り出し物を手に入れることが出来る時もあり、二時間くらいかけて一枚もいいものが見つからないときもあった。そんなときはジャズ喫茶マサコでコーヒー飲んで文庫本を読みながら、午後の時間を潰した。
DVDを返して、もと来た道を戻り、空腹だったので「千草」へ行った。ここは自然食定食屋と銘打っている良心的な店だ。二階は「バーキタザワ」という古いバー。アンクルトリスが看板になっている。ぼくが飲めるタイプであったならば、間違いなく入っていた店だろう。
「千草」は夕食どきで混んでいた。しばらく待つ。席が空いて卓に着き、「厚揚とチンゲン菜のピリ辛煮定食」を注文したが、終ってますと言われた。それで「ぶり焼定食」を頼むと、いまはぶりの季節でないのでやってませんと言われた。ううむと唸り、冬が旬のぶりが無いなら、秋の旬のさんまもないだろうと思いつつ、「塩さんま定食」を注文すると、オーダーはすんなりと通った。有線でダウンタウンブギウギバンドが流れている。多分「知らず知らずのうちに」という曲だ。ダウンタウンが終ると、河島英五の「酒と泪と男と女」がかかった。うしろの席のひとが、「忘れてしまいたいことや」の部分をハミングしている。「飲んで飲んで」の部分に差し掛かると、一緒に歌い、「飲まれて飲んで」のあとは「なんとかかんとか」と歌っていた。
塩さんま定食は旨かった。頭からさんまを食べる。さんまの黒く苦いところが好きだ。みそ汁がお代わり自由なので、お代わりをすると二杯目は熱かった。むかし、豊臣秀吉が近江あたりのなんとかという寺へ、夏の暑い盛り、鷹狩りのあとに寄って喉が渇いていたので、お茶を所望すると、少年が差し出したお茶はぬるく、秀吉はがぶがぶと飲んだ。二杯目を所望すると、少年は熱いお茶を出した。一杯目は喉が渇いているのでぬるいお茶を出し、二杯目はお茶の味をよく味わってもらおうと、熱いお茶を出す少年のその機転に、いたく感じ入った秀吉はその少年を家来にした。少年の名は佐吉と言った。のちの石田三成である。と、いつか琵琶湖あたりをバスで巡ったとき、バスガイドがこういう話をしていたのを思い出した。
熱いみそ汁を飲んでいると、店員さんが「大根おろしもどうですか」と言うので、お代わりを貰った。たいへんに旨い飯だった。満腹になって、駅前を歩いていると、若い辻楽師がフォーク調の歌を歌っていた。その隣には、コミックの単行本を並べて売っていて、店主は長髪に白いタオルを巻き、薄い髭を生やし、ぺらぺらのジージャンを着て、ひとりの学生風を相手になにかのコミックのセリフを声高に演劇調に読んでいるのだった。この光景はイヨネスコの演劇のように不条理なものを感じさせた。
猫が歩いてきたので、声をかけてみた。
「こんばんは」
「……」
猫は終止無言であった。
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