2009年7月1日水曜日

●117BPM 中嶋憲武

117BPM

中嶋憲武


満月だった。
ぼくとキクチサヨコは、海岸通りを走っていた。

父に借りたまっ黒なルノーは、真夜中に近い時刻をカーテンのように静かに走った。
カーステレオから、友だちの編集したカセットテープ。世界中のありとあらゆる曲がごったに編集されていて、実にさまざまな音楽が飛び出してきた。やれやれ。仕方ない。ぼくもキクチサヨコもそういう種類のものを好んでいたのだから。

キクチサヨコは、いつでも物理学特講のいちばんうしろの席に座っていた。ぼくより2つ年下であったが、整った顔立ちをしていて、伏目になったときの睫毛の作る陰翳が彼女を大人びてみせ、てっきり年上と思っていたのだ。

彼女はぼくらの撮っていたホラー映画のヒロインで、ぼくはいつもハンディカムのフレームのなかの彼女をみていた。撮影が終ると、たまに一緒にデニーズで食事したが、おおかたは彼女はまっすぐ帰った。

ある日、物理学特講の講義に顔を出すと、キクチサヨコがいたのだ。それまで同じ講義を取っていることに、まったく気がつかなかった。6月のどんよりと蒸し暑い日だった。キクチサヨコは、ノースリーブの肩をみごとに晒して泰然と最後尾の席で熱心にノートを取っていた。

終業時間が近づくと、物理学特講の非常勤講師は大きなラジカセの再生ボタンを押した。毎回生徒にガブリエル・フォーレやアントン・ヴェーベルン、シェーンベルクなどを聞かせるのだ。その日はフォーレの「インスブルックよ、さようなら」だった。

ゆったりと明るい調べのなかで、キクチサヨコと目が合った。彼女はそっと微笑むと、目で「取っていたんですか?」というような表情をしたので、ぼくは頷いた。

それが縁というものだ。

海面は月光を受けて、黄金を佩いたようにきらきらとしていた。このような間接光をアトモスフェリック・ライトというのだ。印象派の画家たちが追求した光だ。

カーステレオの曲はクリエイションの「暗闇のレオ」からマイケル・ジャクソンの「ビリー・ジーン」に替わった。
キクチサヨコが、
「この曲のビリー・ジーンって、キング夫人から取ってるんでしょ?」と尋ねてきた。
「ビリー・ジーン・キングね」
「日本でいうと、伊達公子は恋人じゃないって歌詞になるんでしょ?」
「スゴイ歌詞だよね。よくプロデューサーのOKが降りたね」
「ホントー。発想に空いた口が塞がらないというか」
「キング夫人って、岡ひろみと対戦してるよね?」
「あー、そーだ。で、岡ひろみが勝っちゃうんだっけ?」
「どうだったっけ。勝つんだっけ」
「勝ったような印象があるんだけど」
「この曲って、117BPMなんだよな」
「 ピーピーエム?」
「いや、パフ・ザ・マジックドラゴンでもレモントゥリーでもなくて」
「ロック天国でもなくて」
「ビーピーエム」ぼくはビーをことさら強調していった。
「ビート・パー・ミニットの略で、1分間に何回4分音符を刻むかってことなの。ふつうのダンスミュージックは120BPMが主流なんだけど、この曲は特殊な117BPMで、それがかえって気持ちいい感じするから不思議」
「テンポいいね。自然に気持ちいい」
「BPMが同じ曲同士だと、例えば2台のCDプレイヤーに違う曲をそれぞれセットして、同時スタートするとリズムが合って1曲に聞こえちゃうんだよ」
「ふーん」
「DJテクニックを使わず、DJみたいなことできる」
「ふーん。どうして120じゃなくて117なの?」
「分からない。作り手のセンスかな」
曲は60年代の知らないソフトロックになった。

しばらく走ると月光のなかでキクチサヨコは寝ていた。
やっと鎌倉の朝比奈まできた。東京まではまだまだ長い。
キクチサヨコよ、眠れ。


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