〔暮らしの歳時記〕
秋の風
山田露結
5階建てのその雑居ビルは1階から5階までが全て風俗店になっていて、各階へはエレベーターを使って行くのだが、2階にある「W」というファッション・マッサージの店へは人目に付きにくい細い路地から裏階段を上がったところが店の入口と繋がっていて、そこからも入ることが出来た。
オレはその裏階段を使ってビルの中に入った。店の前まで来ると怪しいブルーのライトに照らされた看板にどういうわけか「ファッション・マッサー」と無意味に略して書いてあるのが笑えた。
「いらっしゃいませ。ご指名、ご予約はございますか。」
扉が開くと黒のスーツ姿に髪をオールバックに撫でつけ、眉を細く整えた小柄な男が立っていた。
「予約はないです。」
オレは答えながら男の顔を見て、おや?と思った。
「シンちゃん?だよね?」
男ははじめキョトンとしていた。
「ああ、やっぱりシンちゃん。オレだよ、オレ。」
ずいぶんと雰囲気が変わってしまっていたが男は間違いなく幼なじみのシンタロウだった。
「ああ、マー君か。」
向こうもすぐにオレだということがわかったようだった。
シンタロウと会うのは中学を卒業して以来だからほぼ20年ぶりだ。
「ここで働いてるの?」
「う、うん、まあ。」
シンタロウは少しばつが悪そうに笑った。
そういえば彼が高校を中退したあと職を転々とし、やがて風俗店で働き出したこと、一時は自分で店を持っていた事もあったが間もなく潰れてしまい、結構な額の借金を抱えているらしいということを他の同級生から聞いたことがある。しかしまあ、こんなところで会うとは。
「こちら、すぐに準備できる女の子です。」
待合室のソファーに座るとシンタロウが女の子の写真を数枚持って来た。
すると、そっと顔を近づけてきて囁くように教えてくれた。
「この子がいいよ。」
オレはシンタロウのすすめてくれた「カナ」という女の子を指名した。
「はい、カナちゃん入りまーす。」
部屋へ案内されると長身で目のパッチリした可愛らしい女の子が出てきた。
「はじめまして。カナでーす。」
女の子は八重歯を見せてにっこり笑うとオレを部屋へ招き入れた。どことなく、近頃ワイドショーで入籍を報じられていたナントカというタレントに似ていた。今日はアタリだ、と思った。
50分コースを終え、部屋を出てくると再び店の入口にシンタロウが立っていた。
「ありがとうございました。女の子いかがでしたか。」
シンタロウは従業員のマニュアルらしい決まり文句を言うとまたばつが悪そうに笑った。
「よかったよー、ありがとう。ねえ、シンちゃん。今度飲みに行かない?オレのケータイの番号教えとくよ。」
女の子に満足し、すっかり上機嫌になったオレはそう言いながら携帯電話を取り出し、シンタロウの肩に手をやって親し気にこちらへ引き寄せようとした。すると、突然シンタロウの顔付きが変わった。
「ふざけるなっ。」
シンタロウはオレの手を振り払うと顔を真っ赤にして睨みつけてきた。
「ちょっと来い。」
オレは胸ぐらを掴まれ表へ引っ張り出された。店を出て階段を下りたところの薄暗い路地のカドまで連れて行かれると、シンタロウはいきなりオレに殴りかかってきた。あまりに突然のことにオレはわけがわからず、ただされるがままにボコボコにやられてしまった。
「調子に乗るなコノヤロー!二度とここに来るんじゃねえぞ。わかったか。」
シンタロウは倒れているオレの腹にとどめの蹴りを入れると、スーツの衿を整え、すたすたと階段を上がって店の中に入って行ってしまった。
オレは何が起こったのか訳が分からずしばらくボーっとしていた。
立ち上がり、服についた砂を払いながら頭の中を整理してよく考えてみたが、どうしてシンタロウが急に怒り出したのか、いくら考えてもさっぱり分からなかった。
「何もこんなに殴らなくたっていいねえじゃねえか。くそっ。」
殴られたばかりの頬がジンジンと熱かった。
「明日、顔が腫れるかもなあ。」
オレは頬を手でさすりながらゆっくりと歩き出した。9月に入ったばかりだが、夜はもうすっかり秋の風だった。
≫秋風:Rocket Garden 露結の庭
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