ホトトギス雑詠選抄〔1〕
冬の部(一月)屠蘇
猫髭 (文・写真)
屠蘇つげよ菊の御紋のうかむまで 本田あふひ
今年から高浜虚子選「ホトトギス雑詠」の中から毎週ほぼ一句ずつを御紹介する。先ずは新年を寿ぐ一句。昭和七年の作。
屠蘇は正月の御節料理に欠かせない、日本酒に屠蘇延命散(山椒・細辛・防風・桔梗・乾姜・白朮・肉桂などを調合)の入った袋を浸して味醂を混ぜて甘くした延命長寿の縁起による厄落としの仙酒で、御節料理とともに、朱塗りの銚子と大中小の三盃を重ねて盃台に載せて出される。
我が家では無地の朱盃だが、松竹梅などの縁起模様が銚子や盃に描かれた豪儀なものもある。掲出句は「菊の御紋」なので、作者本田あふひ(註1)の夫は貴族院議員だったから、宮中より賜わった盃を屠蘇で満たしているのだろう。
高浜虚子の最大の遺産はと言えば、わたくしは「ホトトギス雑詠選」にあると断言して憚らない。「選もまた創作なり」という虚子の雑詠選は、虚子の選によって名を成した綺羅星の如き俳人たちの作品を見れば、ある意味、原石を玉と見抜いた虚子の眼力による創作だったと言える。
「ホトトギス」に初めて雑詠欄が設けられたのは明治41年10月号からで、翌明治42年8月号で、虚子が小説に専念するために中断し、三年後の大正元年(明治45年)7月号から再開され、昭和26年3月に高浜年尾に選を譲るまで、主だった「ホトトギス雑詠全集」だけでも、約30年にわたり全29冊約24万句を数える。この膨大な「ホトトギス雑詠全集」から、虚子は闊達自在な句を例句として採用し、古い季語は取捨選択し、新しい季題を採用して「虚子編新歳時記」を編んだ。
虚子選「ホトトギス雑詠」は、一結社としての「ホトトギス」の至宝に止まらず、俳壇の至宝でもあり、日本文化の至宝でもある。
残念ながら、「ホトトギス雑詠選」は、ホトトギス百年記念として『ホトトギス雑詠巻頭句集』と『ホトトギス雑詠句評会抄』が出ているだけで、その遺産の全貌を開陳するまでには至らず、明治41年から昭和12年までの通巻500号雑詠入選句10数万句から約1万句を厳選した袖珍版の『ホトトギス雑詠選集』(朝日文庫、全四巻)も、長らく絶版のまま打ち捨てられており、わたくしは俳句愛好者の一人として満腔の不満を申し上げるものである。
ここは是非、虚子の『俳句とはどういうものか』『俳句の作りよう』子規の『仰臥満録』を復活させた角川ソフィア文庫から、『ホトトギス雑詠選集』だけでも再刊してもらいたい。
なお、西村睦子『「正月」のない歳時記 -虚子が作った近代季語の枠組み』(本阿弥書店、3500円)が昨年末刊行された。虚子の功罪を論ずるもの、ほとんどが「ホトトギス雑詠全集」と「虚子編新歳時記」の営為に敬意を払わぬ拙速な論議を重ねるばかりの中で、近来稀に見る労作を喜ぶ。
註1:本田あふひ(1875‐1939)大正-昭和時代前期の俳人。明治8年12月17日生まれ。甥の島村元とともに高浜虚子に師事する。夫の貴族院議員本田親済と死別後、「ホトトギス」同人となり、婦人俳句会、武蔵野探勝会などを指導。謡曲にもすぐれた。昭和14年4月2日死去。65歳。没後に「本田あふひ句集」が刊行された。東京出身。華族女学校卒。旧姓は坊城。本名は伊万子。(「講談社 日本人名大辞典」+Plus)
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