おんつぼ25
バド・パウェル
Bud Powell
山口東人
おんつぼ=音楽のツボ
バド・パウェルがアメリカからパリへ向かったのは1959年。パリ行きは、以前からの麻薬の影響だったのか、精神の病が理由だったらしい。ジャズは健康体よりも病んでいたほうが似合う、その代表格がバド・パウェルだ。そのパリに、テナーサックスの名手デクスター・ゴードンがいて『デクスター・ゴードン・イン・パリ』のなかで二人は共演している。
バド・パウェルの演奏で最良のアルバムといえば世間では「アメイジング」と相場が決っている。それを否定しないが、彼が病んでパリに渡ったあとの演奏はもっといいんじゃないか。アーティストは絶頂期のみならず最期まで生きた時間の中で評価すべきだ。
したがってぼくのベストアルバムは『バド・パウェル・イン・パリ』となる。はじめて聴いたのは、とうの昔になくなった八重洲口のジャズ喫茶『ママ』でのこと。その当時、「クレオパトラ」ばかりかかっていたから、こりゃいったい誰の演奏かと疑った。ジャケットが見えた。ブルーノートとは違う枯れたデザインだ。負のインパクトのような、そんな頼りない感じがして新鮮だった。
このアルバム、パリのサンジェルマンの小さなジャズクラブで録音されている。そんなバドにゆかりの店“シャ・キ・ペシュ(魚を釣る猫)”がまだあるというので、いつか行ってみたいと思っていた。極寒の一夜、まったく知らないパリの街を探し、細い路地でようやく見つけたのが1977年冬のこと。あいにく地下にあったその店は閉まっていた。そこでマル・ウォルドロンの演奏を聴こうとして同じように店に訪ねてきていた英国青年と出逢った。彼は、パリでカバンを作っている職人だという、自分が作った厚手の皮のしっかりしたショルダーバッグを気前よくくれた。そのとき彼はどういうわけかフランス語の禅の本もくれたのだった。気前がいい彼はヒッピー、これから地中海の島イビサに行くと言っていた。
パリにおけるバド・パウェルの演奏は、アメリカ時代の神懸かり的なピアノタッチはまったく消えている。一曲目「ハウ・ハイ・ザ・ムーン」での、らしからぬテンポの高揚感。次の「懐かしのストックホルム」では、演奏中に突然起こす和音のズレが侘びている。3曲目「ボディ・アンド・ソウル」は妙な流れだ。このあたりで切れそうだ、と思わせてからいきなり湧き起るアイデア。そして無理矢理につないでしまう。こんな具合で全曲なんともスリリングな展開である。ときどき見せるもたつき加減は、どこか鷹揚で晩年の志ん生に似ている。それにくらべたら初期の「クレオパトラ」など芸が幼い。
やっと人生の安寧を得たのか、味わい深いアルバムを残したパリでの5年間だった。アメリカへ帰国して2年後の1966年にバド・パウェルは亡くなる。
志ん生度 ★★★★
滋養度 ★★★★
『バド・パウェル・イン・パリ』
デューク・エリントンのプロデュースによりビ・バップの名曲を中心としたパリ・レコーディング。(インフォより)
バド・パウェル(p),ギルバート・ロヴェール(b),カール・ドネル(ds)
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