2010年1月17日日曜日

おんつぼ26 ガリーナ・ウストヴォリスカヤ 関悦史


おんつぼ26
ガリーナ・ウストヴォリスカヤ
Galina Ustvolskaya
交響曲第4番《祈り》


関悦史

おんつぼ=音楽のツボ


ガリーナ・ウストヴォリスカヤ(1919年 - 2006年)については、私もあまりよく知らない。録音や演奏の機会も多くはなく、現代音楽の歴史のなかで中心的な扱いを受ける存在でもない。現代ロシアの女性作曲家でショスタコーヴィチに師事。師と恋愛関係にあったともいう。

そのウストヴォリスカヤの交響曲第4番《祈り》(1985年)を、ケント・ナガノがベルリン・ドイツ交響楽団を率いて2003年に来日した際、ベートーヴェンの第9と合わせて公演プログラムに組み入れていた。日本ではこれが最も多くの聴衆に生で聴かれたウストヴォリスカヤ作品ということになるのかもしれない。

交響曲とはいっても単一楽章で、演奏時間も全曲で7分前後、編成もトランペット、タムタム(銅鑼)、ピアノ、アルト独唱だけと、きわめて小規模で凝縮したもの。

神秘性の強いロシアの女性作曲家としては他にソフィア・グバイドゥーリナが有名だが、グバイドゥーリナにはまだ世界の違和とゴツゴツとかかわりあいながら、その手応えでもって上昇を図り、作品を構築していくといった趣きがある。

ウストヴォリスカヤとなるとそれがさらに垂直性を増し、修道院の個室か断崖のようなところで天と地をのみ直に相手にし、魂を音響のうちに組織づけているといった印象。余分なものが皆そぎ落とされている。

ウストヴォリスカヤと何の共通点もない、というよりもある意味正反対の作風だが、同じ現代ロシアの小説家ウラジーミル・ソローキンの長篇に『ロマン』という上下二巻本の奇怪な長篇がある。

若い二人の牧歌的な恋愛が古きよき19世紀ロシア文学のごとく緩やかに繰り広げられる長大な作品だが、その終盤、恋人たちが結婚式を挙げるシーンで、斧を手にした新郎が何の理由も必然性もなく、突然村人全員を虐殺し始める。

つまりこの打上げ花火のごとき最後の大破壊が書きたいがために、孜々として19世紀ロシア文学の模造品を作りあげてきたという、極めて凶悪なポストモダン的長篇なのだが、ここで気になったのは終盤の無意味=非意味=超意味の大虐殺シーンで、斧を振りかざして走り回り、殺戮の限りを尽くす新郎の後を、実直にずっとついて回る新婦が鈴を鳴らし続けていることだ。どういう意味合いの行為なのかは定かでないが、これ以上ないというほど殺伐としたクライマックスに、不可思議な宗教儀礼的気配を濃厚に添える行為である。

ウストヴォリスカヤにせよソローキンにせよ、どこまで純粋化しても、どこまで過激化しても、その足元には常にロシアの大地が濃密に不透明に、母胎のごとくに濁った重力を働かせている。その混濁との遠心力において、ウストヴォリスカヤは、この世のものならぬ恐怖に充ちた黙示録的ヴィジョンを顕現させる。

絶句度 ★★★★
打撃音頻発度 ★★★



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