第7回
このつまらない世界
さいばら天気
橋本多佳子と三鬼の対談「逃げられた對談」(註1)中、多佳子の「(…)三鬼さんはシンガポール時代、俳句なさったの?」との質問に、三鬼はこんなふうに答えています。
三鬼 (…)学校を出たばかりで、世の中が面白くて堪らない時代ですからね。そんな時には俳句は始めませんよ。俳句は世の中が面白くないことに気がついてからでないと出来ませんよ。ちょっと斜に構えた答え方ですが、実際、そのとおりだったのでしょう。
「俳句は世の中が面白くないことに気がついてからでないと出来ない」という箇所、前にも聞いたことがあると思い、思い出してみると、雪我狂流さんでした。
1948年、日本に生まれる。
1964年、ビートルズに狂う。
1967年、ゴダールの「気狂いピエロ」に狂う。
1977年、パンクロックに狂う。
1991年、俳句に出会う。
以上が狂流さんの略歴です。俳句に「狂う」とは書いていなところがミソです。子どもの頃、若い頃、ビートルズやゴダールやパンクロックに出会い、熱狂する。
対象を換えれば、誰にでも当てはまる経歴です。世の中が「面白いこと」で溢れているような気がする。眠る暇さえ惜しい。ところが、やがて、そうでもなくなる。なんか違う。少なくとも、わが身を「面白くてしかたのない」熱狂に置き続けることはなかなか難しい。社会の成分、世界の成分、それから「自分」の成分のうち半分以上は「つまらない」「退屈」です。
狂流さんは「俳句のおかげで社会復帰できた」あるいは「軌道修正できた」とも言っていました。面白くもない世の中で暮らしていくには、パンクよりも俳句だ、というわけです。
世の中が面白くないことに気づかないうちは、俳句なんて始めない……三鬼は、シンガポールを離れるとき、その地にあった自分の「熱狂」にサヨナラしたのでしょう。
あきかぜの草よりひくく白き塔 三鬼(1935年)
(つづく)
(註1)『天狼』1950(昭和25)年3月号掲載・『西東三鬼の世界』(東京四季出版/1997年1月)所収。
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