夏の部(五月)罌粟の花・上
猫髭 (文・写真)
罌粟咲けばまぬがれがたく病みにけり 松本たかし 昭和7年
俳句では「罌粟の花」と言えば、先ず松本たかしのこの句が頭に浮かぶほど印象が強い句である。「まぬがれがたく」という重い措辞ゆえに、園芸種の雛罌粟(ポピー、虞美人草)ではなく、阿片罌粟をイメージする。また、そういう自分ではどうすることもできない宿痾を作者は「病みにけり」という強い断念で受け止めているようにも見える。阿片からはモルヒネを鎮痛剤として精製するから、たかしの句からはモルヒネを服用していた子規の姿も重なる。
此ごろはモルヒネを飲んでから写生をやるのが何よりの楽みとなつて居る。けふは相変わらず雨天に頭がもやもやしてたまらん。朝はモルヒネを飲んで蝦夷菊を写生した。一つの花は非常な失敗であつたが、次に画いた花はやや成功してうれしかつた。午後になつて頭はますますくしやくしやとしてたまらぬやうになり、終には余りの苦しさに泣き叫ぶ程になつて来た。そこで服薬の時間は少くも八時間を隔てるといふ規定によると、まだ薬を飲む時刻には少し早いのであるが、余り苦しいからとうとう二度目のモルヒネを飲んだのが三時半であつた。それから復た写生をしたくなつて忘れ草(萱草に非ず)といふ花を写生した。(正岡子規『病牀六尺』86、明治35年)俳句世間の外では、病める花と言えば薔薇であり、ウィリアム・ブレイクの詩「病める薔薇」の第一節「O Rose, thou art sick!」を、佐藤春夫が『田園の憂鬱』の中で、「おお、薔薇(そうび)、汝病めり!」と訳したのが、日本では夙に知られており、このゲーテの「薔薇ならば花開かん!」で始まり、丹精をこめた薔薇が畸形で虫に汚されていたというラストのブレイクの絶叫は、堀辰雄の『風立ちぬ』のエピグラフに引かれ、文中に立ち現れるポール・ヴァレリイの詩「Le vent se lève, il faut tenter de vivre.」の訳「風立ちぬ、いざ生きめやも」と並んで、人口に膾炙した。わたくしもまた愛誦した。
それゆえに、俳句を詩として見ると、「罌粟、汝病めり」と「罌粟咲けばまぬがれがたく病みにけり」を罌粟自体が病んでいると先ず読んでしまう。詩は、実生活という現実は生きれば済む事で、生きれば済むことを詩はわざわざ歌わないから、そう読むのが詩としては当り前なのだが、俳句は虚ではなく実に根ざした構造なので、「病める」のは罌粟ではなく作者というように目玉を切り替えて読まなければならない。病んでいるのは作者であり、罌粟の咲く夏の初めの頃にという鮮やかな背景と阿片のイメージが「罌粟咲けば」という因果を反転させて、冷たいような微熱を湛えている秀句となっている。
薔薇咲けばまぬがれがたく病みにけり
と花を置き換えてみれば、薔薇の香水のような濃密な匂いと、罌粟の腐った紙のような臭いと、全く句の姿が変る事に気づくだろう。それが腐臭ではなく、凛然と罌粟の花の色が見えるのは、たかしの冷徹と言えるほどの美意識による。
松本たかし。明治39年~昭和31年。神田生まれ。幕府所属宝生流座付能役者の家に生まれ、父長(ながし)は名人と歌われた。たかしは病弱のため能を断念。大正10年頃から俳句を始め、虚子に師事。昭和21年、「笛」を創刊主宰。句集『松本たかし句集』(昭和10年)『鷹』(昭和13年)『野守』(昭和16年)『石魂』(昭和28年)『火明』(昭和32年)。
チチポポと鼓打たうよ花月夜 『鷹』
が余りにも有名だが、切れ味鋭い秀句を数多詠んでいる。
白菊の枯るゝがまゝに掃き清む 昭和四年三月「ホトトギス」巻頭句
狐火の減る火ばかりとなりにけり
赤く見え青くも見ゆる枯木かな 昭和5年2月「ホトトギス」巻頭
水仙や古鏡の如く花をかゝぐ 昭和6年3月「ホトトギス」巻頭句
枯菊に紅が走りぬ蜘蛛の糸 昭和6年4月「ホトトギス」巻頭句
遠き家のまた掛け足しゝ大根かな
蝌蚪生れていまだ覚めざる彼岸かな 昭和6年6月「ホトトギス」巻頭句
たんぽゝや一天玉の如くなり
流れつゝ色を変へけりシヤボン玉 昭和7年5月「ホトトギス」巻頭句
日の障子太鼓の如し福寿草 昭和8年3月「ホトトギス」巻頭句
雲霧の何時も遊べる紅葉かな 昭和9年1月「ホトトギス」巻頭句
炭竃の火を蔵したる静かな 昭和15年3月「ホトトギス」巻頭句
在りし世の羽子板飾りかくれ住む
箱庭の人に大きな露の玉 昭和16年10月「ホトトギス」巻頭句
冬山の倒れかゝるを支へゆく 昭和19年3月「ホトトギス」巻頭句
雪満目温泉(ゆ)を出し女燃えかゞやき 昭和23年5月「ホトトギス」巻頭句
(明日につづく)
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