夏の部(五月)苗・下
猫髭 (文・写真)
写真は、宮沢賢治が朝顔と間違えたハマナスの花。那珂湊の那珂川沿いに立つ反射炉の下に咲いていた。
「週俳」のオモテで、上田信治氏が高野素十を取り上げていたとは、インターネットの環境の無い那珂湊の田舎にいたので露知らず、ウラで素十を取り上げたのは偶然である。実は、わたくしが高野素十の句の面白さを知ったのは上田信治氏のブログ「胃のかたち」の発言(今回の特集記事の再録文)と、「素十を巡る断章」に引かれた野見山朱鳥『忘れ得ぬ俳句』を読んでからで、こう読むのかと目から鱗だったので、偶然とはいえ、上田氏の素十論が多くの人の目にとまるのは嬉しい。
思うに、高野素十は「ホトトギス」の試金石であるばかりではなく、「俳句」の試金石でもあるのだろう。一番有名な句を例に取れば、稲畑汀子が『よみものホトトギス百年史』で「写生の模範と賞賛される一方、他派からは草の芽俳句と侮蔑を込めてよばれた有名な句である」と述べた、
甘草の芽のとびとびのひとならび 昭和4年(「とびとび」は、くの字点表記)
が百家争鳴だった。
この句の初出は「ホトトギス」昭和4年6月号の巻頭句4句の最後の句としてである(稲畑汀子監修『ホトトギス巻頭句集』小学館刊)。前月の5月号の巻頭5句も素十だったので、9句をここに掲載してみよう。
額の芽の一葉ほぐれて枯れ添へる 昭和4年5月号巻頭句(以下同)
青みどろもたげてかなし菖蒲の芽
おほばこの芽や大小の葉三つ
朝顔の双葉のどこか濡れゐたる
邪魔なりし桑の一枝も芽を吹ける
風吹いて蝶々迅く飛びにけり 昭和4年6月号巻頭句(以下同)
初蝶にかたまり歩く人数かな
ひとならび甘草の芽の明るさよ
甘草の芽のとびとびのひとならび(「とびとび」は、くの字点表記)
「花冷」の項でも触れた、日野草城が昭和5年に「天下の愚作」と断定した「風吹いて」や、秋桜子が昭和6年に「芸術の領域に入るものではない」と論じた「甘草の」の句がこの中にあり、「草の芽俳句」と言われた「おほばこの芽」の句もこの時期で、今回取り上げた「朝顔の双葉」もそうだから、毀誉褒貶句がごっそり呉越同舟という体を成して面白い。
当の素十は、
志文芸になし更衣 昭和27年
スケートは小説よりも面白し 昭和35年
といけしゃあしゃあとした句を詠む、文武で言えばLiterary派ではなくMilitary派だから、文に関しては「どれにしようかな、神様の言う通り、杓子持ってかんまわせ(かき回せ)」(茨城の鬼決め歌)で、俳句に関しては「虚子の言う通り」で通していたから、草城や秋桜子が虚子に対する反感を素十に代理戦争を仕掛ける事自体筋違いだが、そういう政治的な事件が、素十の作品を直截的に読むことから遠ざけている由縁のひとつでもある。
「ホトトギス雑詠全集」への所収は、昭和7年版だが、ここでは「芽」の「雑」で採られている。昭和13年版の「選集」では「名草(なぐさ)の芽」(虚子や素十は「めいそう」としても詠んでいる)の項に再録される。『新歳時記』では「草の芽」に収録される。西村睦子の名著『「正月」のない歳時記』に、この辺の経緯と虚子の主旨が書かれているが、「実際にふだん目にする対象を客観写生して詠ませる方針」で、写生に適した「位相を詳しく個々の首題にするのは虚子の特徴」として「瓜」や「苗」や「若葉」「落葉」を挙げている。この「芽」もまたそうであり、「名草(なぐさ)の芽」は「伝統的美意識で詠むというニュアンスがあって、すべて捨て去っている」。
このため、これだけ有名な「甘草」の句が、「ホトトギス雑詠」が編まれるたびに、収録される季題が変るので、探して照応する手間が大変で、西村氏の労は敬服に値する。「ホトトギス」の人がこういうことをやらなくてはいけないんですがと、氏はお会いした時に話されていたが、わたくしは自分でやってみて、誰もが出来ることではなく、西村氏だからこそ出来た営為だと心から思う。
で、これからわたくしがこの句を誤読していた話に移るが、初めて読んだときは、この句のどこが俳句として凄いのかよくわからなかった。西東三鬼の、
枯蓮のうごく時きてみなうごく 『夜の桃』昭和23年
の方が、鎌倉の源平池の枯蓮を見慣れていたから、風が吹いて遅れるように一斉に揺れる枯蓮の騒擾が見えて、写生句としてはこちらの方が一発でグッと来た。これはひとつは植物の知識の有無による。蓮はすぐ目に浮かぶ。甘草って何?
当時は、先ず「甘草の芽」が見たことがないからわからない。「甘草(アマクサ)」で「広辞苑」を引くと、【①カンゾウの異称。②アマチャヅルの異称。】とある。さて、どっち。カンゾウで引くと、ありました「甘草」が。【中国北部に自生するマメ科の多年草。高さ約一メートルで全体粘質。葉状複葉。夏、淡紫色の蝶形花を穂状につける。根は赤褐色で「甘根」と呼ばれ、特殊の甘味を持ち、欧州産の類似種も含めて鎮痛・鎮咳剤によく使われ、また醤油などの甘味剤となる。アマキ。アマクサ。】。甘茶蔓の方は【ウリ科の多年生蔓状草本。茎は巻ひげがあり他物に巻きつく。葉は五小葉が鳥の足状に広がる。雌雄異株。秋、黄緑色の花を小穂状に開く。熟した果実は小球状、黒緑色。葉は甘みがあり、甘茶にする。アマクサ。ツルアマチャ。絞股藍。】とあるので、後者は「茎は巻ひげがあり他物に巻きつく」から「芽のとびとびのひとまはり」になってしまい、間違いなく前者である。
と調べるからわかるので、甘草を見た者でなければ、それも芽を見た者でなければわからない句である。わたくしは日本的な草花だとこの句を見て想像していたが、実物を見たのはずっと後で、横浜の港の見える丘公園に咲いていて、吟行のとき、句友の書家の石田遊起さんに、これが甘草の花よと教わった。思っていたよりも派手な花で、紫の花穂には熊ん蜂が黒光りする大きな尻を蠢かせて潜り込んでいた。茎の芽も確かに「とびとび」だったが「ひとならび」からは等間隔に整然と芽が並ぶ様をイメージしていたのとは違い、少し不揃いだった。ハテナである。実はこの句を誤読していたのである。
『高野素十自選句集』(永田書房、昭和52年)を実質的に編んだ村松紅花は、素十の言として、
「とびとびに」ではなく「とびとびの」であることによって、下に通っている根茎に従って、いろいろな運命のなかで、こっちは石ころの下へ出てきたかもしれないし、こっちは日当たりのいい所に出てきたかもしれない。そんなようなのがひとならびの甘草の芽だ。哀れがあるじゃないか。と語ったと伝えている(『よみものホトトギス百年史』)。
つまり、「薔薇の芽」や「楤の芽」の木の芽のように、甘草の花芽の並びをわたくしは「甘草の芽」に読んでいたが、そうではなく、地面の下から筍のように生える根茎の芽を素十は詠んでいたのである。「ひとならび甘草の芽の明るさよ」もまた茎の花の芽ではなく、地に芽を出した甘草の草の芽を詠んでいるのだ。虚子が最終的に『新歳時記』に「草の芽」の首題に収めたのはそういうわけである。とはいえ、この句の「の」に素十の見たような「もののあはれ」を見るのは容易ではない。きっこさんに猫が素十を分かるにはあと30年かかるわよと揶揄される由縁である。ああた、もう草葉の陰で読むしかないですがに。
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