2010年6月21日月曜日

●ホトトギス雑詠選抄〔23〕蠅・下

ホトトギス雑詠選抄〔23〕
夏の部(六月)蠅・下

猫髭 (文・写真)


承前

蠅というと、能く知られた句が、

やれ打つな蠅が手をすり足をする 小林一茶『梅塵八番』

だが、虚子の『新歳時記』には載っていない。写生の範にならないということだろう。歳時記の解説で、ずば抜けて面白いのは富安風生編の「ぼやき」だが、虚子編にも面白いものがあり、「蠅」などはそうである。「蠅には随分色々な種類があり数も多いが、愛されるものは一匹もゐない。蠅を打つ。」と、一茶の有名句もあるのだから、そこまで言わんでもという決め付け方だが、逆に言えば、「広辞苑」並みに【幼虫はいわゆる「うじ」。イエバエ・キンバエ・ニクバエ・クロバエ・サシバエ・ヤドリバエなど種類が多く、伝染病を媒介して人に害を与える。】(第二版補訂版)とまでこだわるということは、虚子が「蠅」に並々ならぬ興味を持っていたということでもある。その証拠に、「蠅」以外に「蠅除」「蠅帳」「蠅叩」「蠅捕器」とすべて傍題ではなく、首題として挙げている。

殊に「蠅叩」は完全に虚子のツボである。以下は虚子が、その死によって刊行出来なかった未完の句集を、虚子が死んだ昭和34年4月8日が「ホトトギス」の748号に当っている機縁で、高濱年尾、星野立子の二人が選抜して『七百五十句』として刊行した晩年の句集から選んだ。

一匹の蠅一本の蠅叩 昭和29年
蠅叩に即し彼一句我一句 昭和29年
蠅叩とり彼一打我一打 昭和29年
蠅叩き座右に所を得たりけり 昭和29年
山寺に蠅叩なし作らばや 昭和29年
仏性や叩きし蠅の生きかへり 昭和29年
山寺に名残蠅叩に名残 昭和29年
蠅叩にはじまり蠅叩に終る 昭和29年
去年残し置きたるこゝの蠅叩 昭和30年
蠅叩われを待ちをる避暑の宿 昭和30年
必ずしも蠅を叩かんとに非ず 昭和30年
蠅叩作り待ちをる避暑の寺  昭和31年
蠅叩手に持ち我に大志なし  昭和31年
用ゐねば己れ長物蠅叩  昭和31年
昼寝する我と逆さに蠅叩 昭和32年
新しく全き棕櫚の蠅叩 昭和32年
籐椅子は禅榻(ぜんとう)蠅叩は打棒 昭和32年

虚子というと『五百句』が最も名高いが、わたくしは虚子が虚子らしくツボに自然に自在に俳句を詠んだのはこの晩年だったように思える。

二つある籐椅子に掛け替へても見 昭和29年
風生と死の話して涼しさよ 昭和32年
掃く時も佇む時も落葉降る 昭和33年
ほこほこと落葉が土になりしかな 昭和33年
白波の一線となる時涼し 昭和34年
幹にちよと花簪のやうな花 昭和34年

といった句が、これらの「蠅叩」の句に混じってほこほこ出てくるのに出会うのは楽しいひとときである。

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