夏の部(六月)翡翠
猫髭 (文・写真)
翡翠の影こんこんと遡り 川端茅舎 昭和8年(「こんこん」は「くの字点」表記)
翡翠(かわせみ)はその字の通り、宝石の翡翠(ひすい)に譬えられる背中の「鮮明な碧空(へきくう)色」(『新歳時記』)が美しい鳥だが、頭と嘴が大きく、胸が朱色で白い襟巻とカラフルなので愛嬌もある。『古事記』にも「そにどりの青き御衣(みけし)をまつぶさに取りよそひ」と歌われたように、古来からその美しい青を愛でられた鳥でもある。
昔、国分寺の恋ヶ窪に住んでいた頃は、五日市街道を抜けて奥多摩の秋川渓谷まで、オートバイを飛ばしてよく翡翠を見に行った。水面すれすれに飛ぶので、掲出句のごとく鮮やかな瑠璃色が渓流を遡るように見える。翡翠の光り輝く色彩を滾々と湧き出る泉の如く形容した天才茅舎の感性が際立つ一句でもある。空の青にも水の青にも染まらずに、ひときわ光り輝く青い影なのだ。「カワセミは本来は青くなく、光の加減で青く見える。これを構造色といい、シャボン玉がさまざまな色に見えるのと同じ原理」とWikipediaに載っているが、確かに見る場所によって様々な青を見せる。
「渓流の宝石」と呼ばれるように、渓谷まで出向かなければ見られない鳥だと思っていたが、逗子と鎌倉の谷戸に引っ越してきた途端、鎌倉八幡宮の源氏池では、
はつきりと翡翠色にとびにけり 中村草田男 昭和5年
あるいは、
翡翠が掠めし水のみだれのみ 中村汀女 昭和7年
といった景が欄干から見られ、新逗子駅のそばを流れる田越川では、
翡翠の飛ばぬゆゑ吾(あ)もあゆまざる 竹下しづの女 昭和13年
といった具合に、湘南では身近で見られる鳥だった。
殊に、泉鏡花の代表作の一つ『春昼・春昼後刻』の舞台になった逗子の岩殿寺(いわとでら)には、山頂近い本堂そばの鏡花夫妻が寄進した瓢箪池に、冒頭の写真のように一羽の翡翠(下嘴が赤いのは雌)が住んでおり、わたくしが谷戸歩き方々訪ねると、いつも瑠璃色に輝く姿を現す。鏡花の幻想小説のヒロインは、玉脇みを子という人妻なのだが、鏡花の名づけた「みを」という名前は、澪(みお)からの命名であり、
渚の砂は、崩しても、積る、くぼめば、 たまる、音もせぬ。ただ美しい骨が出る。貝の色は、日の紅、 渚の雪、浪の緑。という哀しくも美しいラストシーンに響きあい、時に「浪の緑」を日差しにきらめかせる岩殿寺の翡翠を、わたくしはひそかに「みを」と呼んでいる。『本朝文選』(「風俗文選」)の「百鳥譜」にも、蕉門の各務支考(かがみ・しこう)が「翡翠といふ鳥は、いかなる美人の魂にかあらむ」と歎じているではないか。
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