おんつぼ32
辻井伸行の「展覧会の絵」
四ッ谷 龍
おんつ ぼ=音楽のツボ
2010年5月28日、NHKテレビで「ピアニスト辻井伸行~心の目で描く“展覧会の絵”~」という番組をやっていた。
辻井は一年前にアメリカの大きなコンクールで優勝し大きな話題になっていたから、彼の名を知る人は多いだろう。
辻井はこの4月、アメリカ各地で演奏会を開くツアーを行った。プログラムの柱として選んだ曲が、モデスト・ムソルグスキーの「展覧会の絵」であった。
番組は、彼がこの曲の演奏に取り組み始めてからツアーを終えるまでの一連のできごとを撮ったドキュメンタリーであった。
新たなレパートリーとして挑戦を始めたが、なかなか自分なりの曲のイメージをつかむことができず、辻井は悪戦苦闘する。アメリカのツアーが始まってからも、迷いは続く。彼がとくに悩んだのは、第9曲の「バーバ・ヤーガ」から第10曲の「キエフの大門」へと連続してつながっていく部分をうまく解釈できない点であった。だが最後の演奏を前にして、彼は問題の解決に到達する。
たいていの演奏家は、激しく音を叩きつける第9曲の勢いをそのまま引き継いで、第10曲を豪華壮麗に演じてみせる。ホロヴィッツの演奏もしかり、辻井が影響を受けたキーシンの演奏もそうである。
ところが、辻井の演奏は、第10曲に入ると少し音量を落として、弱音ぎみに開始したので、聴いていた私はびっくりした。こんな演奏を聴くのははじめてであった。
辻井は「キエフの大門」を、華麗な大建築としてではなく、心の中の小さな門として把握したようであった。
困難を乗り越えて、著名なピアノ賞を受賞した彼が、難曲中の難曲「展覧会の絵」を携えてアメリカに乗り込むと聞けば、誰しも「どんなに華やかな演奏をするのだろう」と期待するだろう。しかし辻井は予想を覆して、小さな、天国的な演奏を提示したように思われる。(番組では演奏の一部しか放映されなかったので、断定的なことは言えないが。)このような彼の思考を、私はとても詩的だと思う。
辻井の演奏は、「展覧会の絵」という曲について新しい発見を私にさせた。第1曲の「プロムナード」が非常に人間くさい、リアリズムを感じさせる曲であるのに、同じテーマが第10曲で再提示されるときは、天上的な夢幻性を帯びて表現される。ということは、「展覧会の絵」とは、人間が多くの詩的な経験を経て天上へと至るプロセスを描いた、一大絵巻なのではないだろうか。
辻井の「展覧会の絵」のCDは、この秋に発売予定だという。今からそれが待ち遠しい。
それまでは、リヒテルの演奏ビデオでもお楽しみいただきましょうか。
思考の深さにびっくり度 ★★★★★
今から待ち遠しい度 ★★★★★
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