2010年7月4日日曜日

●ホトトギス雑詠選抄〔25〕七月・下

ホトトギス雑詠選抄〔25〕
夏の部(七月)七月・下

猫髭 (文・写真)


秋櫻子が昭和6年10月号の「馬酔木」に、「自然の真と文芸上の真」を発表して「ホトトギス」を離脱したあと、虚子は「ホトトギス」12月号に、3ページほどの短編小説『厭な顔』(全集第七巻所収)を書いている。栗田左近という信長の家来が、自分の諫言を取り上げなかったことを根に持って厭な顔をして逐電し、越前の門徒一揆に加担したので、生け捕りにした後、厭な顔をしてすぐ逐電したのは愚かだと諭して、許すかと思いきや、斬首を命じる話である。

この短編の眼目は左近の厭な顔で、信長は「其の将士が誰であつたかも今は記憶にないが、唯軽くあしらつて、てんで相手にしなかつた。左近も其れきり口をつぐんだが、信長の眼にとまつたのは、其の時左近の厭な顔をして引き下がつたことであつた。」と書いて、その厭な顔を描写する。
其の厭な顔が、どういふものだか、信長の頭にこびりついて居た。元来左近の相は人に快感を与へる相では無かつたが、少し俯目になつて口をもぐもぐさせてゐた時の顔は全く形容の出来ない不愉快な顔であつた。
これは秋櫻子の脱退の後に書かれたことを鑑みると、間違いなく秋櫻子の顔であり、虚子の人を見抜く目は尋常のものではないから、秋櫻子にとっては看過できない厭な書き方だと思う。この小説の眼目は、もうひとつあって、それは信長の反応である。「信長は其の後左近が失踪したことも格別気にもとめずにゐたが、近頃若林父子(越前門徒一揆の首謀者)のもとにゐて、種々信長に対して悪口をいひ、門徒一揆を扇動してゐるといふことを聞いた時分に、ふと幻のやうに浮み出たのは其の厭な顔であつた。」と書いて、次のように記す。
暫くの間、其の厭な顔の幻をぢつと見詰めてゐた信長は、あまり厭な顔なので、思はずふき出してしまつた。
側近の蘭丸が、何がおかしいのかと尋ねると、信長はこう答える。
「実は、をかしいのではない、気味が悪いのだ。」
さう言つて又笑つた。
この笑う場面は凄い。信長の特異性をよく表現している。この小説の見所はこの二つの眼目に尽きている。虚子は人が一番嫌がることを知っている。プライドを傷つけることである。虚子は、本当は秋櫻子が自分が俳句を教えた素十が自分よりも虚子に重んじられる嫉妬からだだを捏ねたことを見抜いて、離脱に至る経緯を「格別背くにも及ばぬことではなかつたか。」「其の為めに厭な顔をしてすぐ逐電したのは愚かなことではなかつたか。」と優しさを装って信長に畳み掛けさせ、左近が口をもぐもぐさせて首を垂れるや「左近を斬つてしまへ」と命令する。秋櫻子に対する死刑執行である。

経緯から、どう見ても信長が虚子で、秋櫻子は左近に見立てられているから、秋櫻子は翌月の「馬酔木」で「織田信長公へ 生きてゐる左近」という一文を草する。わたくしはまだその反論は読んでいないが、信長と自分を重ねるという、そこまで虚子は尊大ではないと思うから、自分の手を汚さずに秋櫻子を切る手段として信長に斬らせたというところだろう。狡猾といえば狡猾だが、虚子にとっては闘志を剥き出しにする相手では秋櫻子はなかったということだ。

虚子のライバルと言えるのは、わたくしの見る限り河東碧悟桐ただ一人である。極端な話、

赤い椿白い椿と落ちにけり 河東碧悟桐

に匹敵する句を詠めるだけの天才は虚子にはない。虚子の代表作として挙げられる句、

去年今年貫く棒の如きもの
遠山に日の当りたる枯野かな
咲き満ちてこぼるゝ花もなかりけり
流れ行く大根の葉の早さかな
桐一葉日当りながら落ちにけり
金亀子擲つ闇の深さかな

が束になっても、この碧悟桐のシンプルで美しい句には敵わない。これは私見であるが、多分、最初にそう感じて、今もそう感じているから、死ぬまでこの見解が変わることはないだろう。
また、碧悟桐の書のオリジナリティな創作力は虚子の書の比ではない。これは書道に親しんだ者ならば誰でもわかる。

碧悟桐の悲運は、子規死後、優秀過ぎて自分以上の天分に二度と出会えなかったことである。虚子の幸運は、子規や碧悟桐ほどの創作力に恵まれなかったがゆえに、自分以上の天分を見抜く目を授かり、多くの天分に恵まれた弟子たちを擁したことである。

中でも山口誓子は、「ホトトギス」の歴史の中でも傑出する新人であり、『ホトトギス巻頭句集』を読んでいて、誓子が出て来た途端、がらっと「ホトトギス」が近代から現代へと舵を切って帆が膨らむような感じがする。「ホトトギス」と「馬酔木」に同時に籍を置くことを虚子はとがめなかった。草城や久女は除名しても誓子を除名することはなかった。斬ることはなかった。斬れば「ホトトギス」の未来を斬り捨てることになる。

誓子は本名の新比古をもじって「ちかいこ」と読むのが本来だった。それを昭和11年に京都で誓子が初めて虚子に会った時、虚子に「君がセイシ君でしたか」と虚子が誤解して言ったので、誓子は以後「せいし」と改めたという(『よみものホトトギス百年史』)。

誓子についてはいずれまたの機会に。

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