ホトトギス雑詠選抄〔28〕
夏の部(七月)大暑
猫髭 (文・写真)
念力のゆるめば死ぬる大暑かな 村上鬼城 大正4年
今日は「大暑(たいしょ)」。【 (1)厳しい暑さ。酷暑。(2)二十四節気の一。太陽の黄経が一二〇度に達した時をいい、現行の太陽暦で七月二三日頃に当たる。一年中で最も暑い時期。六月中気。〔季〕夏。】(大辞林)の通りに、今年は、暦の上からも、お天気の上からも暑さの上に大の付く35℃前後の猛暑が、ここ那珂湊では梅雨明けとなった7月18日(日)から続いた。新聞配達のバイクの音で目覚めれば、今は午前3時を過ぎたところで、夜が明ける前から27℃の熱帯夜である。30℃を越す時間が毎日一時間近く縮まるような猛暑の一日が始まろうとしている。一昨日群馬県館林に仕事で出かけた顔馴染の古物商は熱中症になって帰って来た。赤銅色に日焼けした海育ちとはいえ、体温を越す38.9℃の炎天下で無帽で力仕事をしたそうな。那珂湊も猛暑日だったが、町自体が隙間だらけなので海風が通る。館林は風が死んでいた。まさしく、「念力のゆるめば死ぬる大暑かな」である。これほど暑い「大暑」の句は無いと言っていいほど暑い。そう言えば鬼城も群馬県高崎の人だった。
掲出句は「ホトトギス」大正4年12月号の巻頭句20句の一句である。他に「麦飯のいつまでも熱き大暑かな」が並ぶ。
歳時記は、基本的には同じ句が二度載ることはない。季重なりの句であっても、両方の季題に載ることはなく、季題の主従関係の主の方の季題に載る。例えば、『新歳時記』では「切株に鶯とまる二月かな 原石鼎」は「二月」の季題の例句として載り、「鶯」には載らないし、季重なりで一番有名な古今の句は「目には青葉山ほとゝぎすはつ鰹 山口素堂」だが、これは「初鰹」というように、「青葉」や「時鳥」には引かれない。
ところが、虚子の『新歳時記』には、同じ句が二度載っている。それが鬼城の掲出句である。「暑さ」(六月)と「極暑」(七月)の両方に例句として載っている。実に珍しい引用句の重複事例である。
わたくしが持っている『新歳時記』は昭和26年の増訂版で、昭和9年の初版と昭和15年の改訂版は参照していないが、平成22年の今日まで76年経っているのだから、誰かが指摘してもいいはずだが、寡聞にして知らない。昭和14年の『ホトトギス雑詠選集』には「暑さ」(六月)だけで晩夏の「大暑」は立てられてはいない。したがって、掲出句は「暑さ」という三夏であり、『新歳時記』の版のどこかで、「極暑」(七月)の傍題に「大暑」と「三伏」を増補して掲出句を移し、元の「暑さ」の例句を消し忘れたのかもしれない。
虚子が「極暑」の解説で「暦では陰暦六月の中に大暑といふ日を置いた」という前提で鬼城の句を「暑さ」(六月)として入れ、太陽暦では「七月二十三日・四日に当る」という前提で鬼城の句を「極暑」(七月)に入れているのは、陰陽暦それぞれに添えば間違いでは無いが、「俳句ではどうしても何れの季にか一定せねばならぬ」と虚子が言うのであれば「何れの月にか一定せねばならぬ」とも言えるので、「大暑」の次の「二十四気」は、暦の上では「立秋」であるから、ここは「極暑」(七月)ということになるだろう。事実、梅雨が明けて、これから夏休みが始まり、夏本番ということになるので、「季を決定するについてはあくまで文学的見地から季題個々について事実・感じ・伝統等の重きを為すものに従つて決定した」という序の言葉にも沿うと思われる。
ところで、これだけ個性的な「大暑」の句は、例句が一句といった季寄せには、強烈過ぎるから引かれないかもしれないが(『角川書店編季寄せ』や『平井照敏編季寄せ』など)、例句を沢山引く「大」を付けた歳時記にはほとんど引かれるのに、「質・量ともに最高・最大の本格歳時記!!」と腰帯に巻いた『角川俳句大歳時記』の「大暑」には、例句20句中に鬼城の句はなく、字足らずの句として能く引用される「兎も片耳垂るる大暑かな 芥川龍之介」で始まる。『ホトトギス雑詠選集』の「暑さ」の季題には、鬼城の掲出句に続いて、
鉄条(ぜんまい)に似て蝶の舌暑さかな 我鬼 大正7年
という虚子選の芥川の句もあるが、鬼城の念力の句が「大暑」の項目に載っていない大歳時記というのは、わたくしには解せない。
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