主体は変容するのか 1/2
橋本 直
俳句甲子園の句碑ができたそうで。 →参照
なんというか、終わりの始まり?神社仏閣にある碑といえばだいたい戦没者慰霊碑とか歌碑句碑の類であるが、前者は文字通り流された血の浄化のためでわかりやすい。後者は調べると本当に色々経緯があって、場合によってはちょっとあやしいものもある。件の場合はどうなんだろうかと思いつつ俳句甲子園ググっていたら、実行委員長が地元の同期と同姓同名だ。あれ、本人かもしれん。世間は狭い。
それはそうと、「俳句生活 一冊まるごと俳句甲子園」(角川学芸出版)も出た。こういう本を出すことをどうこういう立場にはないが、このやり方をするのなら、まだまだ俳句甲子園を良く知らないであろう多くの読者層を考慮し、岩波新書『琵琶法師―〈異界〉を語る人びと」みたいにミニDVDとかで実際の映像つけて出すべきだったと思うのだがどうだろうか。傍目で見ていて、俳句甲子園には活字では絶対に伝わらない熱さがあると感じるのだが。
俳句甲子園については、先の句碑もそうだが、大人の思惑や反応はいろいろあるもよう。が、そのいろいろはあるにせよ、平成の俳句史において良い俳人を生み出したことはもはや動かないと信じたい。ただ、世の認識がそうなったときにできあがる序列階層化を、元祖の甲子園のように時折は意外性が打ち消して行けるかどうか。そしてかの本に載ることのなかった無名の高校生たちがもつ負け組意識を、まったくかえりみないで勝ち残った優れた若者やイベントの成功にのみ飛びついてわあわあはしゃいでいるだけの大人がいるのなら、状況として相当に気持ちが悪い。教育の一環として参加する高校生がそれ故に真剣に取り組むことになった俳句でリアルにおちこぼれ意識を持つのみで終わるのってまことに卦体な話である。これを少し考えてみたい。
ここのところ週ハイでも俳句甲子園に関わる記事がでている。
山口優夢さん
http://weekly-haiku.blogspot.com/2010/08/blog-post.html
関悦史さん
http://weekly-haiku.blogspot.com/2010/08/6-21.html
俳句甲子園特集
http://weekly-haiku.blogspot.com/2010/08/174-2010822.html
山口氏のはきれいに纏めすぎで、学問的にはだいたい自己神話化を疑われる体のものだが、非常に貴重で面白い証言である。関氏の時評はさすがの切れ味。最後のはいろいろバラエティに富む内容。
さて、関氏が例の角川のムックの夏井いつき氏の記事を引用し「俳句甲子園というプラットフォームの設計がうまく行ったからこそ参加者はそれを楽しみ、イベントが公共性を持つことにもなり得たのだ。権力といえば即ち悪と発想が短絡しかねないのだが権力装置自体は科学技術と同じで使いようによるという面もあるのかもしれない。」と書かれている部分と、先の記事で山口氏が如何に「俳人」になっていったのかをあわせて読むと、なかなか味わい深い。
例によって、この手の権力装置の問題は、フーコーのパノプティコンを引用しいろいろ論じられるが、俳句甲子園と高校生の間をつなぐ学校教育の諸制度内部にももちろんこれと同様の問題は指摘できるのであり、俳句甲子園に参加する「高校生」をひとくくりにしてできあがった一作家の習作期レベルのようにあつかって、物語(神話)化した語りの視点で見てはいけないだろう。例えば振る舞いとしてプラットフォームの内部にいることを楽しみはじめたものの、はみ出た/出された者は、ゲーム会場から退場するしかないのか。あるいは、その周縁に潜み権力の反転の機会を伺うことになる運命なのか。
立ち読みですませてしまった(関係者の方ごめんなさい)ので、関氏の記事中引用された夏井いつき氏の記事そのものは読んでいないから、どのくらい書いてあるのかしらないけれども、夏井氏は俳句甲子園のはるか以前にそのころ流行っていた「詩のボクシング」をまねて学校で俳句の実践授業を行っており(『夏井いつきの俳句の授業・子供たちはいかにして俳句と出会ったか』参照)、夏井氏のこの実践のフィードバックが今の俳句甲子園に行き着いたものと私は理解している。俳句甲子園の胎動が氏が俳句で食う決意を持って教職を離れたことと、もともと授業の方法の模索の中からはじまったことは気にしておく必要があるだろう。
(明日につづく)
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