夏の部(七月)滝・下
猫髭 (文・写真)
≫承前
写真は、武蔵五日市駅からバスで20分ほどの檜原村(ひのはらむら)仏沢(ほっさわ)の滝で、バス停から歩いて15分ほどだろうか、こんな近くにと驚くほど東京都唯一の「日本の滝百選」のひとつが掛かっている。華厳の滝ほどの水量はないが、そこそこの「滝の上に水現はれて」の景ではある。
清水哲男『増殖する俳句歳時記』は、俳句のスタンダード鑑賞として愛読しているが、氏によれば夜半の掲出句は「昔から毀誉褒貶がある」そうな。名句として定まっていると思っていたので、どんな臍曲がりが言っているかと思えば、
作家・高橋治は「さして感動もしなければ、後藤夜半という一人の俳人の真骨頂がうかがえる句とも思わない」と言い、「虚子の流した客観写生の説の弊が典型的に見えるようで、余り好きになれない」(「並々ならぬ捨象」ふらんす堂文庫『破れ傘』栞)と酷評している。ということである。高橋治の出自は「松竹ヌーベルバーグ」と呼ばれた映画人の一人で、小津安二郎の『東京物語』の新人助監督を務めている。28年前に読んだ、小津安二郎の生涯を描いたノンフィクション・ノベル『絢爛たる影絵』が素晴らしかったので、わたくしは氏の著作は歳時記風随筆も含めてかなり付き合ったので、蕪村武闘派の高橋治なら、さもありなんとは思う。特に、「後藤夜半という一人の俳人の真骨頂がうかがえる句とも思わない」というところは、氏が夜半の他の句にも目配りをしている上での発言である。後藤夜半は、実にはんなりとした句を詠む洒脱な俳人なのだ。例えば、「木槿(むくげ)」を花の底の紅色から「底紅」と言うが、「底紅」を新季題として定着させたのは、
底紅の咲く隣にもまなむすめ 後藤夜半(遺句集『底紅』)
の一句によると云われる(稲畑汀子編・著『よみものホトトギス百年史』)。滝の一句だけで覚えられる俳人ではない。しかし、それは清水哲男も承知の上で、
名句もいいけれど、技巧的に優れた作品ばかり読んでいると、だんだん疲れてくる。飽きてしまう。そのようなときに、夜半はいい。ホッとさせられる。夜半は、生涯「都会の人」ではなく「町の人」(日野草城)だったから、一時期をのぞいて、ごちゃごちゃしんきくさいことを言うことを嫌った。芸術家ではなく、芸人だった。生まれた大阪の土地や文化をこよなく愛した。と述べているのは、夜半の句を楽しむ者には我が意を得たりと膝を打つだろう。清水哲男の俳句鑑賞がわたくしにはスタンダードであると思えるのは、こういう名句一流主義の弊から免れている目にある。
高橋治の小説『風の盆恋歌』や歳時記随筆を読めば氏の俳句の嗜好に奥行きがあるのはわかるが、「虚子の流した客観写生の説の弊」という『ホトトギス雑詠選集』読まずの「虚子嫌い」の弊に、高橋治が陥っているようにも思える。西村睦子『「正月」のない歳時記』によれば、「滝殿」は江戸期からあるが「滝」を新季語として提示したのは、虚子だと云う。であれば、それを定着させたのは夜半の一句なのだ。この「滝」の一句を越えようと、また別の視座から開拓しようと、後世は列を成している観があるほどの一句であるのは事実である。
『よみものホトトギス百年史』によれば、夜半は、半ば伝説になるほど、大正12年から昭和6年まで、「ホトトギス」の選に入らなかったそうだが、虚子は昭和4年に夜半を「ホトトギス」の課題句選者に抜擢している。夜半は、「滝」一句で『懸賞募集 日本新名勝俳句』の「帝国風景院賞」を受賞し、「ホトトギス」昭和6年9月号の巻頭を飾る。高橋治が映画界で反発し、しかし、その愛憎を越えて見事に描いた監督小津安二郎に匹敵するのが、俳句界では監督虚子なのだ。『ホトトギス雑詠選集』は虚子の作った最高傑作なのである。
ところで、「虚子の流した客観写生の説の弊が典型的に見えるようで、余り好きになれない」という見解は、酷評といえども、夜半の句を「客観写生」の典型として見ている評価だが、逆に、これは写生句ではないという見解もある。
『俳句界8月号』連載の坂口昌弘氏の「平成の好敵手」第二回「岸本尚毅VS小川軽舟」の孫引きだが、
軽舟は、夜半の句については『現代俳句最前線』の中で、箕面の滝をいくら眺めても句の景色は見えてこず、「落ちにけり」と言えるものではないと言い、実際の滝を見た写生句ではないと実景で確認している。とある。はあ?
朝桜妻の乳房の充実す 小川軽舟
という句がある。わたくしが軽舟さんちに出かけて、奥さんの乳房をいくら眺めても句の景色が見えてこず、「充実す」と言えるものではないと言うようなもんだっぺ。
夜半の詠んだ滝が、大阪府箕面市の「箕面(みのお)大滝」であることは、久しく絶版の『日本新名勝俳句』を読まないとわからないので、歳時記にもアンソロジーにも前詞として「箕面」とは書いていないから、普通はこの句から「滝」のイメージを受け取るのに、「箕面」という地名は意識しない。各自の滝の体験と、この句のもたらす「水現はれて」に、滝だから水が上から下へ落ちるのは当り前だが、それを「現はれて」と言いとめられたことで、あらためて水を意識する、その落差がこの句の滝口に水がゆっくりと盛り上がってもんどり打って落ちて来る落差の力学を生み出す。「落ちにけり」で滝壺に轟音が蘇る。このとき、「水現はれて」は夜半が創造したオリジナリティ以外の何物でもない。虚子の言葉で言うなら「此作者が創造した世界が即ち現実の世界になつてゐると云ふことになる」。眼前の滝は作者の想像力を飛躍させる触媒と化す。
虚子は鍛錬会で、当季雑詠と同時に必ず兼題を出して想像力を鍛えた。そこにあるものと、そこにないもの。目で見えることと、想像力を働かせなければ見えないことの振幅運動は、虚子の場合、常にワンセットになっている。
虚子の「客観写生」というのは自在な句を得るための「方便」であって、「方便」であることは虚子選の「ホトトギス雑詠」の多士済々の句を読めばわかる。夜半に限ってランダムに拾えば、
国栖人(くずびと)の面(おもて)をこがす夜振かな
合邦(がっぽう)ヶ辻の閻魔や宵詣
狐火に河内の国の暗さかな
夜桜のぼんぼりの字の粟おこし
からたちの花のほそみち金魚売
金魚玉天神祭映りそむ
桜炭ほのぼのとあり夕霧忌
傀儡の厨子王安寿ものがたり
傘さして都おどりの篝守
人形の宿禰(すくね)はいづこ祭舟
羽子板の写楽うつしやわれも欲し
そはそはとしてをりし日の桜草
見おぼえのある顔をして袋角
水べりに嵐山きて眠りたる
揚りたる千鳥に波の置きにけり
暗がりをともなひ上る居待月
香水やまぬがれがたく老けたまひ
蕗の薹紫を解き緑解き
双の手をひろげて相違なき案山子
大阪はこのへん柳散るところ
睡るとはやさしきしぐさ萩若葉
鰻の日なりし見知らぬ出前持
麦の穂を描きて白き団扇かな
涼しやとおもひ涼しとおもひけり
懸崖に菊見るといふ遠さあり
或日あり或日ありつつ春を待つ
というように、その詠みっぷりは、諷詠という趣きのはんなりとした句柄である。夜半は、間違いなく京極杞陽と同じように虚子から「はじめは物を浅く写すことからはじめる」と教わり、それを終生守り続けた俳人である。
「滝の上に」の意味がわかりませんでした。「滝」と現れる「水」は同じものなのでしょうか?
返信削除私はずっと「滝」の上に本体とは別な飛沫が出現して落ちると解釈しておりました。
同じとすると「水現はれて落ちにけり」が滝そのものとすると、「滝の上に」が意味不明ではないですか?ご教示ください。
横から失礼。ええと、「滝」と「水」は基本的に同じものですね。しかし滝の落水は肉眼でその動きを追えるくらいの速度なので、上から下まで一つらなりのように見えていた滝が、よく見るとじつは波状的な水の塊の連続落下であることが感得できます。
返信削除滝口を見ていると「あ、また水が来た」ということを実感します。それで句は「落ちにけり」ですから、滝口にあらわれた水塊が滝壺に落ちるまでの視線の移動や、その時間経過をも意味しています。
私は山が好きで滝を眺めることもしばしばですが、夜半の句は滝を眺めた際の実感をよくあらわしており、やはり名句と思います。
(追記)上の記事の中程に、小川軽舟さんが箕面の滝を実見した話が載っていますが、「滝をいくら眺めても句の景色は見えてこず…」とあるのが驚き。もっと虚心になって滝を見るべしと私は思います。それでも夜半の句が見えてこないのであれば「目がわるいんだな」と言うしかありません。
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