中嶋憲武
中学生の頃ラジオを聴いていたら、永六舗がこんな話をしていた。
草野心平が道を歩いていたら、子供達がよってたかって犬をいじめていた。それを見た草野心平は「犬だって人間だよ」と言って、犬を助けてやった。
ぼくはこの「犬だって人間だよ」に大いに感心してしまい、詩人ってやはり発想が違うんだなあとしみじみと思い、優れた詩は心根の優しい人間でなければ書けないのだなあと思ったことだった。
後年、俳句を嗜むようになり俳句関係の本なども読むようになり、ある時読んだ本のなかにとてもショックなことが書かれてあった。それはふらんす堂刊の加藤楸邨の猫の句ばかり収めてある句集で、その句集の末尾に「四十番地の猫」というとてもせつないとてもやるせない文章が載っていた。「しろ」という野良猫が楸邨家に住みつくようになり、その猫との顛末を味わい深い筆致で語り終えたのち、エピローグのようなかたちで書かれてあるこの箇所だ。
この猫が妙に心に残っていたので、後に水原先生にお話してみたら、猫の嫌いな先生は伝書鳩をとられた時の話をした後で、文章はここで終るのだが、そのときの楸邨の些か唖然とするような顔が見えるようである。文中の水原先生とは、水原秋桜子のことだ。事も無げに「十日位生きていたよ」とは何と言う事だろう。あんまりなお人である。
「空室へ閉じこめてやったが、十日位生きていたよ」
と言われた。
更に数年後、次のような詩を読んだ。
どこへいったの?かわいい赤ちゃんこれは鮎川信夫の詩である。「自作について」という文章でこう書いている。
時計はチクタク
お皿はガチャガチャ
あっちのすみこっちのかげをさがしても
うちじゅうみんな知らん顔
鼠はチュウチュウ
かわいい赤ちゃん水の中
目もあかないですやすやと
バケツの水で眠ってる
大きなお腹をしてよたよた歩きをしていたロリ・ポリ(猫の名)が見えないとおもったら、部屋の隅のラジオの下で仔を産んでいた。プラスチックの臙脂の大皿に、ぶちと白黒の二匹。これでテテがどいつかわかったようなもの。参った。間引きである。これを読んで惨憺たる気持ちになった。思春期の詩人に対する偶像崇拝はどこへやら。草野心平だって犬だから助けたので、猫だったらどうだったろうか。
一晩抱かせて、今夜、ロリ・ポリが魚を食べている隙に、ラジオの音程を上げておいて、二匹を風呂場へ持っていき、バケツの水に漬けてしまった。お母さんネコは、しばらくあちこちさがしているようであった。小首をかしげて、耳をすますような仕科で、ときどき人をうかがうように見つめたりする。
猫。とかく迫害されやすき生き物である。
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わたくしの俳句の先生は冬になると野良猫を毎晩湯たんぽ代わりに寝床に引き込むほどの大変な猫好きですが、水原秋櫻子は猫殺しだと言っては蛇蝎以上に嫌っていて、その怒りの出典が不明なのが気になっていました。この「十日位生きていたよ」でしたか。立原正秋も子どもを噛んだ犬を木刀で叩き殺しているし、知り合いの中国人は日本に来る前に飼犬を隣人に食われたので隣の飼犬を食ってしまったと言っていたし、目には目を歯には歯をで、秋櫻子も理由無く殺したわけではないことがわかっただけでも、長年の疑問が腑に落ちました。
返信削除鮎川信夫の詩は、わたくしは評論の方はほとんど読んでいますが、この詩は知りませんでした。全句集には入っていませんね。七編ほど掲載誌が見つからなかったので、外したことに特に理由も無くたいした詩ではないと後書で言っていた七編の一編だったのでしょう。
秋櫻子の話も鮎川信夫の話も陰惨ですが、やはり作家と作品は別で、大悪人が佳句を詠むこともありますし、一国の首相が駄句を書くこともあるだけの話のように思えます。猫、というより、弱き物は迫害されやすいということでしょうし、犬にも猫にも好かれる作家の方がスカタンな作品書く確率の方が圧倒的に高いと思います。
最後に、梅崎春生に『輪唱』という十ページほどの三つの短編「いなびかり」「猫の話」「午砲」を収めた連作があります。三つともいい短編なのですが、なかんずく、「猫の話」は絶品で、わたくしはこれを読んで終生の梅崎春生ファンになりました。バーで中嶋さんの朗読を聞いたとき、このカロという鯨の肉を盗み食いし蟋蟀が好物の猫の話を中嶋さんなら朗読出来るかも知れないと思いました。今回の猫の話を読んで、中嶋さんがやはり打って付けなのではないかとほとんど確信しました。
ちなみに梅崎春夫は、庭に剃刀を埋めて翌朝真っ二つになったモグラが累々と死んでいるのを眺めそうな、絶対に会いたくない人物ではあります。
中嶋憲武 様
返信削除鮎川信夫の詩に猫の詩があることを初めて知りました。それも「自作について」という文章も書いているのを見て、ますます、その出典を知りたくなりました。
詩の題名や、その出典が分かれば、教えてください。
たかさん より
たかさん、こんばんは。
返信削除ご質問の詩集は、中央公論社刊の「現代の詩人2 鮎川信夫」です。ぼくはこれを台東区の図書館で借りて読みました。
書店では入手が困難と思われ、図書館で借りるかamazonで探してみるのが得策かと思われます。
「自作について」は詩日記のようなものを書こうという意図で、気ままに書かれたものらしく、この文章中に載っている詩は発表しようという予定もなく書かれたデッサン、エスキースのようなものであるらしいです。引用した猫の詩も題名がありません。
中嶋憲武
中嶋憲武 様
返信削除早速のご返事ありがとうございます。
すぐ確かめたところ、『現代の詩人2 鮎川信夫』中央公論社刊の自作についてに掲載されていました。その中で、詩の題名は「絵本の惨劇」といい、雑誌に発表したが、自分の詩ではないように感じて、全詩集には収録しなかった、と書かれていました。
私が全詩集を見たときなかったことが、よく分かりました。ありがとうございました。
たかさん