【裏・真説温泉あんま芸者】
「翻案」のアウト/セーフ判定 西原天気
≫承前
もじった句、下敷きにした句、踏まえた句がアウトかセーフか。その判定にさして関心があるわけではないが、もう少し詳しく考えてみると、おもしろいかもしれない。せっかく例句が2つあるのだから。
元のテクストの属性をちょっと見てみましょう。
ヒヤシンス眠りゐるとき手はどこに うさぎ
元のテクストは歌詞(When you sleep where where do your fingers go.)。ここには作詞者という個人がいる(その際に先行テクストを踏まえたものかもしれないが、その可能性は無視しておく)。他者(作詞者)の創作です。
しかし、その内容は、作詞者の発明というわけでもなく、独自の表現、言い回しでもない。例えば、誰かの日常会話(あるいは睦言)から採取されたと考えてもおかしくない一般的な言い回しです。
次に行きましょう。
冬雲にサテンの裏地かがやける 天気
元のテクストは諺(Every cloud has a silver lining.)。作者はいません。いても複数(集合的)とみなすことができます。創作とは言えない。「犬も歩けば棒に当たる」が、言い出した人はいるはずだが、作者は特定できない(特定してもあまり意味がない)のと同じです。
内容・表現は、どうでしょう。雲の輝く裏側を「銀の裏張り (silver lining)」と比喩するのは、一般的ではありません。ある種の創意です。
掲出の2句は、テクストとして発生した際の経緯、そして内容・表現の一般性/個別性という2点で、対照的です(偶然にも、ちょどいい2例)。
2点の要素を軸にマトリクスにしてみましょう。
A:発祥=集合的(複数) 内容=一般的
B:発祥=集合的(複数) 内容=個別的(独自)
C:発祥=個別的(個人) 内容=一般的
D:発祥=個別的(個人) 内容=個別的(独自)
「ヒヤシンス眠りゐるとき手はどこに」はC、「冬雲にサテンの裏地かがやける」はB。
Aは、一個人の作者がなく、内容・表現も一般的というパターン。
あやまちはくりかへします秋の暮 三橋敏雄
これがAの例句。ちょっと捻ってはありますが、「あやまちはくりかえしません」という標語が下敷きになっている。というよりも「引用」です。藤田湘子が入門書のなかで挙げた、
この土手に登るべからず+季語
も、A。元のテクストは「この土手に登るべからず 警視庁」(立て看板の文句)。
よく知られた成句(慣用句)の引用というパターンが多いAは、アウト・セーフで言えば、セーフ。ただし、句としてうまく行くかどうかは別問題(以下同様)。
Bは、作者は集合的だが、表現に独自性があるパターン。例えば、
幾千代も散るは美し明日は三越 攝津幸彦
「明日は三越」は1910年代の広告コピー「今日は帝劇、明日は三越」句の引用。創案者はいるが、世の中でのありかたは、成句に近い。
BとCのアウト/セーフ判定は△といったところでしょう。やり方によって、読む人によって、アウトかセーフかに分かれる。
Dは、個人の作者がいて、内容・表現も個別的なパターン。これは、まあ、ふつう、アウトとなる。
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マトリクスまで作ったわりには、当たり前のことしか言えていない気がしますが、先行テクストを下敷きにするとひとくちに言っても、先行テクストの質によって、踏まえ方、アウト/セーフが変わってくることを、ちょっとていねいに扱ってみました。
この話、もう少し、続きます。次の「裏・真説温泉あんま芸者」では、読む側のことに触れます。
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