2011年1月30日日曜日

【裏・真説温泉あんま芸者】書を捨てた(?)俳人たち

【裏・真説温泉あんま芸者】
書を捨てた(?)俳人たち 西原天気

承前

短歌には「本歌取り」の伝統があるといいます(いまもその伝統が生きているのかどうか、短歌に不案内な私にはわかりません)。

本歌取りが方法としてマナーとして成立する。そこには「本歌」についての知識・教養を多くの人が共有しているという背景があるはずです。

俳句はどうでしょう。短歌の素養、江戸俳諧の素養、明治・大正・昭和の俳句についての素養。そうした知識・教養の基盤は?

鴇沢正道氏は、俳句における本歌取りを実作者として積極的に取り入れ、また当該テーマの論考も多くものされています。

(クリステヴァの間テクスト性を総論的前提として)本歌取りの理論としては具体的な各論が必要である。現代の諸家の中では渡部泰明氏の立論--本歌を想起し本歌取りを完成させるのは読者だ--が優れている。しかし、歌・句人口が増え大衆化した現代では、古代や中世の宮廷サロンにあった共通の教養基盤は期待できない。新作の根拠は本歌が与えるものだから、読者が本歌をはっきり認識できなければ話にならない。現代の本歌取りの難しさである。(鴇沢正道「言葉遊びの快楽」」:『現代俳句』2010年8月号)

共有する教養基盤は崩れてしまった。現実にそうなのでしょう。実際、鴇沢氏が自作として挙げる、

  名月や座に美しき賀茂の稚児

を見て、これが芭蕉の

  名月や座に美しき顔もなし

の本歌取りだとはわからない人も多いのではないでしょうか(私はわかりませんでした。学貧しきことほど悲しいことはない)。

ただ、この手の素養の劣化・脆弱化の要因を「大衆化」のみに求めていいものか。今泉康弘氏に次のような指摘があります。

近代の俳人、特に虚子の「客観写生」の影響下にある俳人は、言葉ではなくて、眼前の景物を重視するようになった。そのため、一方で「写生」が重視され、その反面、先行文芸(先行する言葉)への敬意は失われてしまった。(…中略…)「万葉集」と「古今集」と「新古今集」の違いについて知っていることよりも、「あやめ」と「しょうぶ」と「かきつばた」の違いについて知っている方が俳人にとって大切なことになった。それが新しい「伝統」になった。その結果、言葉がどんどん痩せ衰えていく。(今泉康弘「二〇一〇年無季俳句の小さな旅」:『円錐』第47号・2010年10月30日所収)

俳句を詠むために、詩歌的伝統・詩歌的遺産を〔読む〕よりも、目の前の事物を〔見る〕ことに重きが置かれ(この淵源を虚子だけにもとめていいのかどうか? 近代化という時流のなかで子規が提唱した「写生」はどうなのか?ということは少し思いますが、それは置いて)、その結果、先行テクストへの敬意が失われてしまったとする今泉氏の指摘は重い。

書を捨てて、町に、野に、吟行している場合ではない、ということになりましょうか。

もちろん、俳句の楽しみ方は人それぞれです。読みたい本だけ読んでいればいい、本を読むよりむしろ、自分の目でモノを見て、自分なりの句を詠むのだ、という人がいても、それはそれでいいと思います(以前、ある人が「他人の俳句はあまり読まないようにしている。頭に残って同じような俳句を作ってしまうといけないから」と言うのを聞いて、たいへん驚いたことがあります)。しかし、そうした人を読者にしては、本歌取り・もじり・パロディは無効です。そんな遊びは通用しません。

さらには本歌取りの「精神」への理解という問題にもつながってきます。鴇沢氏の別の論考から。

(…)読者はこれが本歌取りであると気付いてくれるだろうか。(…)もし気付いた人がいて本歌に辿り着いたとき、本歌取りの精神を理解した上で作品を見てくれるだろうか。反対に盗作あるいは剽窃と見なされる危険はないだろうか。(鴇沢正道「本歌取りと盗作のあいだ(1)」:『麦』2008年7月号)

「昔の句に似たような句がある」と知ったとき、目の前にある句を「本歌取り」として読むか、「あるからダメだ」と切り捨てるか。読者側だけの問題というわけではありませんが(作りようの巧拙も関わってくるはず)、読者の頭に、もとより本歌取りの概念そのものがなかったとしたら、それはもう、作者としては、どうしようもない。このへんはつくづく困難な問題ではあります。

この話題、さらにもう少し続きます。

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