【裏・真説温泉あんま芸者】
デュエットする俳句 西原天気
≫承前
先行テクストとか詩歌の遺産とか言うと大仰です。そんなに大袈裟に考えなくとも、シンプルに、句を読むこと、句を知ることは愉しいわけです。
本をたくさん読みまくり、たくさんの句をしっかりと頭に入れる。それができる人は、それだからこその俳句の愉しみを味わうことができるのでしょうが、誰もが勤勉で碩学というわけでもない。しかしそれだから愉しめないというわけでもない。それなりの愉しみがある。
例えば、返歌というのかアンサーソングというのか、ふとしたことで知ったりすると、とても嬉しくなります。
〔本〕しやがむとき女やさしき冬菫 上田五千石
〔返〕冬菫しゃがむつもりはないけれど 池田澄子
この組み合わせ、私は「増殖する俳句歳時記」1999年2月19日の記事で知りました。
もうひとつ、例。
〔本〕てぬぐひの如く大きく花菖蒲 岸本尚毅
〔返〕手拭ひに似ても似つかぬ花菖蒲 岩田由美
前者は知っていましたが、岩田由美のこの句は、神野紗希「『花束』『鳥と歩く』を読む」で知りました。夫婦(めおと)ならでは掛け合い。これも愉しい。
返歌は、本歌取り、もじり、パロディとはまた、すこし違う。返歌ならではの愉しさがありますね。時間を超えて、デュエットをしているみたいな。
句を読むこと、句を知ること。一句か数句でも、読めば、知れば、愉しさが見つかるのだと思います。
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