ためふん
橋本 直
蕪村の俳句に、
公達に狐化けたり宵の春
という、わりと知られた句がある。もう一つ、
戸を叩く狸と秋を惜みけり
という句もある。前者は一目して全くの知的操作だとわかる句だが、後者の方はどうだろう。同様に空想のようではある。野生の狸は人里近くにいても気づかれないくらい警戒心が強いから、実際に半野良の猫みたく人家に近づいて鳴いたり、窓やドアにすりよるなんてことはありえないだろう。しかし狐の方とは違って、空想というよりは、お腹の出たお友達がやってきたのを喩えたようにも見えるし、そのほうが滑稽。
ところで、この句を調べるついでに狸が気になって調べると、タヌキの習性に「ためふん」なるものが。
もう何年も前、雪が解けたばかりの戸隠の森の道をあるいていたときに、人間なら十人分ぐらいありそうなのが木の根元に積み上げられていた(あ、あきらかに人のではないですよ)。なんのふんだろう、まさか寝起きの熊じゃねえべ、とか思っていたのだが、その時は地元の人に聞いても分からずじまい。ため糞はニホンカモシカもやるらしいが、場所柄どうやら狸だった模様。ただ、形状が違うので、雪でふやけたとみるべきか。あるいは、やはり熊だったかなあ。
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ところで、狸汁。
「狸汁は普通皮を剥ぎ採った後、腹を割き料理し、蒟蒻、牛蒡、里芋、大根、葱などの野菜を添えて、味噌汁、または醤油汁としたものである。人を誑かすという小賢い狸、腹鼓を打つ狸を思うとユーモラスである」(編集代表富安風生「俳句歳事記」冬の部は山口青邨編 昭和三四年初版)
この解説すごい。たんたんとした描写で、皮をはぎ取り腹を割き汁にしたものが人を誑かし腹鼓をうつ狸だと思えばユーモラスだと言い切っている。なんちゅうか、シュールな。
狸はふつうまずいが、冬になるとうまくなって汁で食うのだとか。いまでも食うのかな。これまで熊と猪と鹿と雉子と鴨(ついでに言えばトドにアザラシにハトにカエル)は食したことがあるが、狸はまだない。主に「ホトトギス」の作家でまとめたみたいだけど、だれだろこれ書いたの。狸汁好きそうだな、その人。
ところで狸は近代になって季語になったもの。子規は季語として使っていませんね。
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