【林田紀音夫全句集捨読・番外編】
二十句選 1/4
野口 裕
1 少女が黒いオルガンであつた日の声を探す (p69)
紀音夫のロマンチシズムがよく出ている句。この句で思い出すのは、三鬼の「白馬を少女?れて下りにけむ」。白と黒、オルガンと馬を対比させてみれば、少女への視線は同質であるといえる。紀音夫句の場合、過去形の少女であるだけに、この時代特有の破調であるが、「黒いオルガンであった日の声」が、喪失感を良くつたえている。
列の拘束いつまでも白いトルソ立つ
鋼材を移し囚徒の歩幅に似る
胸腔に海を湛えたながい失語
遺体の泥は拭った後も忘れるな
トンネルが奪う日本海上の星一粒
沖の曇天パン抱いて漂泊をこころざす
個々の句の意味、個々の句の鑑賞は今回やらない。一気に連続六句を並べたのは、どうもこのあたりリズムが悪いなと感じるからだ。現代仮名遣いの変更にともなって、口語文脈を句に取り入れようとしたせいだろうか。「立つ」。「似る」が必要なのか、などとどうしても考えてしまう。実験中という不安定さを抱えている、としておこう。ただし、トンネルの句は捨てがたい原石の輝きを放っていると見た。(「林田紀音夫全句集拾読」から)
2 トンネルが奪う日本海上の星一粒 (p70)
表現上、海ではなくなぜ日本海なのかを考えてゆくと、芭蕉の「荒海や佐渡によこたふ天河」に突き当たる。
照明のある列車の室内から窓の外の星の光を見ようとすると、列車内の光景には目を背け、ひらすら窓の外を見つめ続けなければいけない。しかし、そうしても天の川どころか星ひとつがいいところ。だが無情にも、トンネルはそれさえも奪ってしまった。芭蕉句を巡る思索はそこで中断された。
上述の文は、紀音夫句が抱える戦後史とは無縁である。そこを考えてゆくと、日本海は別の歴史から導かれることになるだろうが、とりあえずこう解釈しておく。
3 その日が食えた明るさの乾いた陸橋 (p73)
その日が食えたことへの喜びを表す句とも取れるが、喜びよりもとまどいがあるように感じる。喜びを表す物として「乾いた陸橋」を持ち出してきたとは考えにくい。
時代は、高度経済成長のまっただ中。それまで必死に生きてきたけれど、そんなに事はうまく運ばなかった。なのに、今頃なんでこんなにうまくいくのか。陸地を渡るのに橋が要る。何か変だ。そんな気分ではなかろうか。(「林田紀音夫全句集拾読」から)
4 騎馬の青年帯電して夕空を負う (p74)
一瞬の幻想が現れる。句自体は旧知なのだが、句集の流れの中に出現するとびっくりする。林田紀音夫は、第一句集以前の作品、戦前の作品を残していない。何かその辺に根のあるような句ともとれるのだが、思い過ごしかもしれない。余談ながら、「騎馬」の誤変換で「牙」が出てきたのも興味深い。(「林田紀音夫全句集拾読」から)
騎馬はそれほど日本の風景とはなり得ない。そこで考えられるのが、紀音夫が従軍体験で得た華北の風景。「馬賊」というような言葉も、紀音夫にとってそれほど遠いものではなかっただろう。この句は、「火の剣のごとき夕陽に跳躍の青年一瞬血ぬられて飛ぶ」(春日井健)と発想を同じくすると考えられるが、春日井の歌が過去からも未来からも切れて、今この瞬間の光景であるのに対し、紀音夫句は「夕空を負う」となっているように、過去を背負っている。紀音夫は歴史から逃れられない。
5 いつか星ぞら屈葬の他は許されず (p77)
古代の人が、屈葬を行った理由については諸説ある。
A 掘らなければならない墓穴が小さくてすむためという省エネ説
B 胎児の姿勢をまねて再生を願ったとする説
C 休息の姿勢であるという説
D 死霊を恐れた事が原因とする説
これらの説が互いに隔たっていることから、屈葬に対する意識が変遷したのではないかと想像できる。その変遷は、屈葬が次第に消滅していったことから、屈葬に対して肯定的なものから否定的なものへと変貌したのであろうと想像することも容易である。紀音夫句の「許されず」は、意識が変遷しきった後の否定的なところから出た言葉なのだろうが、句にはどこか2にあるような肯定的な気分も漂う。それは、「いつか星ぞら」というような俳句では滅多に見られない悠長な出だしに起因すること大である。「星空」ではなく、「星ぞら」とかな交じり表記にしていることもそれを補助している。「許されず」と命令した他者の絶対性には抗いがたいとする感性を、古代の悲劇ならよくあることだが、近代に至った今日において表現するのは難しい。しかし、この句はその難事を、悠長な出だしをトランポリンのバネのように利用して軽々と超えてみせる。
ちなみに、春日井健に「跳躍ののち風炎がかぶされり屈葬の型にうづくまる背に」がある。歌集「未成年」では、「火の剣の…」の二首後である。
『Melange』の編集長、寺岡良信氏の作品がいつもながら俳句と詩の接点を感じさせて刺激的である。
伝説 寺岡良信
溺谷の淵で夕陽を拾つた
銃眼の底で月光を拾つた
霧氷を泳いできた馭者の嗚咽も
今日腑分けされる白鳥の吐息も
遠い故国のリラ冷えの甌ほどに
つめたい
曉が地に命じてとどけた泉に
沐浴せよ屈葬の囚人たち
曉は伝説を燃やす青い焚書の炎
オリオンは磔刑のまま頤の奥に
無垢なわたしを射る
思わず、林田紀音夫の「いつか星ぞら屈葬の他は許されず」を意識したかをたずねると、十分意識していたとの答だった。「無垢な」の部分に疑問もあるが、全体としては見事な詩になっている。俳句から離れて俳句と出会う。いつも、不思議な体験をさせてもらっている。(「林田紀音夫全句集拾読」から)
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