相子智恵
よし分った君はつくつく法師である 池田澄子
句集『拝復』(2011年7月/ふらんす堂)より。
今年は蝉が鳴き始めるのが遅かった。8月に入って、ようやく蝉時雨を耳にした。
掲句、なるほど「ツクツクホーシ、ツクツクホーシ」と性急に、延々と鳴き続ける法師蝉の鳴き声は「私はつくつく法師なんだ、分かってくれ!」と名前を連呼して主張し、懇願しているかのような切実さがある。
しかし、そもそも鳴き声の描写にこの字を当て、この蝉を「つくつく法師」と名付けたのは人間の勝手である。しかも蝉が名前を一所懸命に連呼しているなどと都合よく感じ、それに対して「よし分かった」と認めようとは、人間はずいぶん蝉に対して傲慢なものだ。
この作者はその矛盾、人間の身勝手さもよく分かっている。それでありながら、蝉の鳴き声のあまりの切実さに、自分が持ちうる人間の詩の言葉をもって精一杯「よし分かった」と応えずにはいられないのである。おそらく蝉の鳴き声に感じている切実さは、そのまま作者の、作家としての態度の切実さなのである。
そんな森羅万象に対する作者の思いは、一見、読者を笑わせる滑稽な句として表され、やがてうっすらと哀しくさせる。「大笑いのち半泣き」のような句である。
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