相子智恵ぎんなんのどれもあかるく潰れたる 山口優夢
句集『残像』(2011.7/角川書店)より。
銀杏が落ち始める季節だ。先日訪れた公園にも、踏まずに通るのに苦労するほど銀杏が落ちていた。その半分くらいは、たしかに潰れていたように思う。
すでに人口に膾炙した句が多い『残像』には、〈臍といふ育たぬものや暮の春〉〈珈琲はミルクを拒みきれず冬〉など、否定形の句がやや目立つように思った。作者の文体の特徴(あるいは現在、若手に人気の文体のようにも思えるが)だろうか。
心のどこかに最初からインストールされてしまっている寂しさと諦めを、私はその否定形に見てせつなくなる。それでもギリギリの場所で何かに抵抗しようとする(そしてその抵抗はわりと報われない。〈珈琲〉のように…)苦しみの強さも。
この句も形こそ違えど〈あかるい〉というプラスのイメージが、結局は潰れてしまっているところに、なんとも奇妙に明るい諦観がある。
そして、一旦作者の頭を潜り抜けて読者に提示された否定形よりも、事実をまっすぐに描いたこの句のほうが、私には不思議と強い寂しさが立ち上ってくるのである。
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