相子智恵アンメルツヨコヨコ銀河から微風 西原天気
句集『けむり』(2011.10/西田書店)より。
「アンメルツヨコヨコ」という、肩こり・筋肉痛に効くスーッとする塗り薬。この商品名、よく見ると不思議な文字づらだ。
「アンメルツ」はちょっと「アンドロメダ」に似ている。「ヨコヨコ」は何かの信号みたいだし、「ワレワレハ、ウチュウジンダ」みたいな感じも、ちょっとする。
それはもちろん〈銀河から微風〉が取り合わされたことで読者にもたらされる気づきであり、こう書かれなければ、決して肩こりの薬の名前が、宇宙からの交信と結びつくことはない。心地よく楽しい言葉のワープだ。
〈糸屑をつけて昼寝を戻り来し〉〈枝豆がころり原稿用紙の目〉〈しまうまの縞すれちがふ秋の暮〉
読者をどこにも連れて行かず、とどまらせる俳句がある(もちろん良い意味で。じっくり着実な)。逆に、読者の首根っこをつかみ、急に世界の反対側に引きずり込む俳句もある(こちらも良い意味。独創的な)。それらの俳句を読むのには、集中力と体力がいる。だから、こちらが疲れているときは、少しだけ躊躇する。
『けむり』という句集がくれるのは、そのどちらでもない「小さな心のワープ」だ。赤坂見附の地下鉄入り口に入ったはずなのに、ホームに出たら永田町だった、というくらいの小さなワープ。
『けむり』の俳句は、だから、元気のないときでも読める。むしろ元気のないときに読むと、ほっと疲れが取れて、少しだけちがう場所に出られる。
それはちょっと肩が凝ったときに塗る「アンメルツヨコヨコ」に、そういえば似ていなくもない。
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≫西田書店ウェブサイト
太宰治に『トカトントン』という短編があり、何か必死になろうとする時になると必ず釘を打つ金槌の音がトカトントンと聞こえてきて、例えば、海辺に腰を下ろして結婚を申し込もうとすると相手の後ろに犬の糞が、それもかなり大量なのが目に入ってしまって、きょろりと我に帰り、すべて白紙になってしまうという男が出て来ます。天気さんの『けむり』を眺めていると、このトカトントンが聞こえてくるような気がします。
返信削除いきいきと死んでいたのは何だったかと必死に思い出そうとすると、トカトントン、トカトントン・・・すると蝦蟇に乗った児雷也のようにけむりが出て来て頭が真っ白になり、けむりがうすれると、
寒鮒のぼんやり死んでをりにけり
がぼうっと現われて、すべてがどうでもよくなってきて眠くなる。普通の言葉を普通でなく使えば、驚いて目を剥くところを、まあそう肩肘張らんと、と肩揉みするように現われては消えてゆく。
天気さんの『けむり』は、そういう普通の言葉を普通でなく使って、塩酸メタンフェタミン的覚醒を意図するのではなく、ベンゾジアゼピン系催眠の効果をもたらすところに個性がある句集です。自分が読みたかった句を自分で詠むというのは至難の業ですが、これはそれに成功した句集であり、作者にとっても幸せな句集と言えるでしょう。