樋口由紀子
世の中におふくろほどの不仕合せ吉川雉子郎 (よしかわ・きじろう) 1892~1962
小説家の吉川英治は二十歳前後のときに雉子郎の雅号で川柳を詠んでいた。雉子郎は焼け野の雉子の子を思う親心をしのんでの命名で、彼はかなりの親思いの青年だったらしい。
母親が不幸であると嘆いて、母親を哀れんでいるのであろうか。どうもそうではないように思う。偉人の伝記によく登場する母と同じにおいがする。立身出世した人の伝記には「誰よりも早くから起きて働き、誰よりも遅くまで夜なべをして、私は母の寝ている姿を見たことがない」というようなことが書かれている。それと同様に、自分のことよりも家族のために生きている母に感謝し、母を称えている。不仕合せな母を幸せにしたいという強い思いが見られる。だから「吉川英治」が誕生するのだ。〈貧しさのあまりの果ての笑ひ合い〉〈この先を考えている豆の蔓〉
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