樋口由紀子
わけあってバナナの皮を持ち歩く
楢崎進弘 (ならざき・のぶひろ) 1942~
「わけあって」が意味深である。一体何事かと身を乗り出して読むと「バナナの皮」って、なんだと思うと同時に、この外し方におかしみがある。バナナの皮を捨てるのを忘れるほどのことがあったのかもしれない。別に何の意味もないのかもしれない。言葉の持つ微妙さ、嘘くささなどを想像させてくれる。
「バナナの皮」は具体的な物。提示されることによってはじめて質感と共のその存在がクローズアップする。理由をつけてまとめられることを避けているような気がする。オフビートな川柳かな。
〈エスカレーターが動く私の未来とは別に〉〈父として歩けば岬すでに過ぎ〉物事の分別の独自の眼である。『現代川柳の精鋭たち』(北宋社刊 2000年)。
「わけあって」が意味深である。一体何事かと身を乗り出して読むと「バナナの皮」って、なんだと思うと同時に、この外し方におかしみがある。バナナの皮を捨てるのを忘れるほどのことがあったのかもしれない。別に何の意味もないのかもしれない。言葉の持つ微妙さ、嘘くささなどを想像させてくれる。
「バナナの皮」は具体的な物。提示されることによってはじめて質感と共のその存在がクローズアップする。理由をつけてまとめられることを避けているような気がする。オフビートな川柳かな。
〈エスカレーターが動く私の未来とは別に〉〈父として歩けば岬すでに過ぎ〉物事の分別の独自の眼である。『現代川柳の精鋭たち』(北宋社刊 2000年)。
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