2012年9月17日月曜日

●月曜日の一句〔有澤榠樝〕 相子智恵



相子智恵







霧吸うて来し唇を汝に与ふ  有澤榠樝

句集『平仲』(2012.7 角川書店)より。

ゾッとするような美しさのある句だ。現実と幻想が入り混じった、たとえば小泉八雲『怪談』の「雪女」なども思い出す。

霧は、手元の歳時記にはこうある。〈昔は春秋ともに霧ともいい、霞ともいったが、後世になって春の方を霞、秋の方を霧というようになった。春の霞はのどかな感じがするが、霧はどこか冷たい印象である〉(角川『合本俳句歳時記 第三版』)

「どこか冷たい印象」が霧の本意だ。霧を吸い込んだのちの接吻の、口移しに冷たい秋の空気が体内に流れ込んできて、胸の奥からスッと秋になるような感覚。それを与える女(作者を離れれば男とも取れるが、やはり女だろう)が挑発的な感じがするのは〈汝に与ふ〉の強さだ。艶っぽく冷たく惑わされ、それはまこと、霧の中に入りゆく気分。“五里霧中”の恋に落ちる瞬間の気分だ。

句集名『平仲』は『今昔物語』平定文の説話から取ったという。あとがきによれば、
平定文は本院侍従への恋に悩乱し、グロテスクともいえる醜態をみせ、ついに焦がれ死んだ。今昔編者はいともばっさり「極めて益無き事なり」と評している。まことにそれはそのとおりであろうが、あまりのおろかさにけなげとも思えてくる。
掲句の恋も冷たくて熱く、おろかで、けなげである。


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