相子智恵
夢は枯野を少年少女合唱団 山田露結
句集『ホームスウィートホーム』(2012.12 邑書林)より。
今年最後の鑑賞となった。大晦日である。
年末のせいか、掲句を一読して〈少年少女合唱団〉という単語から、(句に描かれているわけではないが)ベートーベンの第九『歓喜の歌』の大合唱にまで想像が及んだ。
「年末に「第九」が演奏されるのはなぜ?」という記事(
http://r25.yahoo.co.jp/fushigi/wxr_detail/?id=20111229-00022426-r25)によれば、年末の「第九」は、第二次大戦直後の貧しい時代に、日本のオーケストラが“もち代稼ぎ”で始めたことらしい。来年は戦後68年になる。
新しい年に無邪気にワクワクできなくなったのは、この時代だからなのか。それとも私が歳を取ったせいなのか。きっとその両方なのだろう。同句集中の〈冬ざれのロープ掲揚塔を打つ〉〈冬日射す希望に似たり希望でなし〉といった寒々しい冬の句に、私はしみじみと共感する。
掲句の〈夢は枯野を〉は、言わずと知れた芭蕉の死の床での「病中吟」〈旅に病で夢は枯野をかけ廻る〉を踏まえている。病床の夢の中でも、芭蕉は枯野をさまよい、次の俳句を求めて旅を続けた。
私たち現代の俳人もまた、次の一句を求めて、来年も枯野の旅を続けることになるだろう。その旅の間には、少年少女合唱団の希望の歌声が、突然冬の空から降ってくるような僥倖の瞬間も、きっとあるのだろう。
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