樋口由紀子
橋の向こうに帰ってしまうチンドン屋
淡路放生 (あわじ・ほうせい) 1942~
つい最近、神戸で久しぶりにチンドン屋を見かけた。私が子どものころに見たような、派手な着物を身につけて、ちょんまげをつけた男の人と日本髪のかつらをかぶった女の人の、チンドン屋の名前通りにチン,ドンと鉦や太鼓をたたきながら、にぎやかに歩いていた。ふらふらとあとをついていきたくなった。
子どもの頃、いつまでもあとについていって、叱られたことがある。チンドン屋本人と、母にである。橋の向こうはどんな世界なのだろうか。案外、橋の手前となんら変わらないのかもしれない。
淡路放生にはこんな句もある。〈百発百中無駄な百発なりしかな〉。誰もが夢見る「百発百中」。何もかも順調にうまくいっていたのだ。それを今は「無駄」だったと思う。百の響きのよさとともに印象に残っている。
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