樋口由紀子
ハハシスという電報はきっとくる
天根夢草 (あまね・むそう) 1942~
結婚式や葬儀で読まれる電報ではなく、緊急のときに重要な役割を果たしていた電報を知っている年代はいつまでだろうか。一昔前は緊急のときは電報しか手段はなかった。私はおぼろげながら「電報です。電報です。」とトントンと戸を叩くのを覚えている。玄関チャイムもなかった。そして、そのほとんどは良い知らせではなかった。
私の場合(母が亡くなったという知らせ)は携帯電話だった。現在はそれが一般的だろう。いつでもどこでも繋がる。便利すぎるせいでもないが、掲句を携帯電話にしてみたら、電報ほどの重みが出ないように思う。言葉や現象が消耗品のようになってきたことが川柳の完成度を低くする一つの要因になっている。時代や状況が味方してくれない。川柳は作りにくい時代になった。『天根夢草川柳集』(川柳展望社刊 1978年)
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