相子智恵
心臓へかへる血潮や去年今年 小川軽舟
句集『呼鈴』(2012.12 角川書店)より。
ずっと〈去年今年〉という季語を空恐ろしく思ってきた。多くの季語は、繰り返す四季という“歳時記的不変”の中にあるのに対し、〈去年今年〉は、時間はたちまち過ぎて決して戻らないという“時間の流れの速さ”をピシャリと突きつける季語だからだ。
掲句の〈心臓へかへる血潮〉の巡りと〈去年今年〉の関係はこれに似ている。心臓を出た血液は体を巡って心臓へ戻ることを繰り返す。それが四季の巡りの“歳時記的不変”に似ているとすれば、血が巡るうちに起きている人体の老いの速さが〈去年今年〉だ。同じ季節を巡っているようで、じつは死に向かって二度と戻らない時間を生きている私たち。印象深い〈去年今年〉の一句である。
句集名の『呼鈴』について、作者はあとがきで、母の他界、実家に独居となった父、震災、自身の単身赴任を経験して〈年とともに家というものの存在を思うことが多くなったようだ。そして、どんな家にも呼鈴がある〉と書いている。
私自身も郷里が遠方なので、この言葉にふと、一年間で実家に帰った回数を数えてみた。4回だった。少ないだろうか。長期休暇は盆・正月・ゴールデンウィークの年3回だから、案外これくらいが“働く日本人の平均的な帰省回数”かもしれない。そして私の両親の年齢を平均寿命と照らすと、残り20年を切っているから、今のペースで単純計算すると、あとたった80回しか会えないことになる。もちろんそれよりは会うだろうが、それでもその少なさに愕然とする。
季節はいつものように巡りながら、やはり無常に過ぎていくのみなのだ。
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