樋口由紀子
拾われる自信はあった桃太郎
田路久見子 (とうじ・くみこ)
山田露結句集『ホームスウィートホーム』の中原道夫の跋で掲句に久しぶりに出合った。
〈たんぽぽに踏まるるつもりありにけり 露結〉、これは現代川柳の「拾はれる自信はあつた桃太郎」を彷彿とさせる。こんな、思いがけない再会もあるんだと嬉しくなった。田路久見子の顔が浮んだ。久見子は川柳の場での最初の友人で、ほぼ同年齢だったのでよく一緒に行動した。
中原は「若し拾われなかったとしたら、という噴飯ものの〝仮説〟を立てる」「痛快な一句である」と書く。
時実新子の『花の結び目』でもこの句は紹介されている。新子は「拾われなかったらどうなる。などは微塵も考えない生きざま」にいたく感動し、「もしかして、私はこの考え方で流れ来たのではあるまいか」と述懐している。『花の結び目』は新子の川柳私史的な性格を帯びたものなので、余計に自分にひきつけて鑑賞しているのだが、その対比は興味深く、俳句と川柳の読みの一端がうかがえるような気がする。
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どんぶらこどんぶらこつこ春の川 ハードエッジ 2013.2.10
返信削除なるたけに偲びてかぐや姫のうち いつ藻
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