関悦史
あらはなる根のやうに人秋の浜 石井薔子
「根のやうに」と形容されるこの人影は動いてはいない。そして根は本来土中にあるものだ。根が地上に露出したような、有用な場から離れた所在なさが、この「人」からは感じ取れる。そもそも秋の浜も普通用があって赴くところではない。
「根」の比喩が面白いのは、淋しい秋の浜でたまたま見かけた人影が、単なる無害な物件として遠くに置かれているようにも、あるいは作者の内面を担わされた少々鬱陶しい風景として提示されているようにも取れば取れそうでありながら、そのどちらからも微妙にずれてゆき、「根」の生々しい実在感がはねかえって、それを見ている語り手自身の身体まで構成してしまうところにある。
通常の植物が根をおろせない浜辺に置かれた「根」の違和が、おそらくは顔が見えず個体識別もできず、植物とも通じ合うような奇妙な生命感のみとなった「人」の立つ秋の浜の終末感と結びつき、忘れがたいというよりも、忘れることが許されないような印象を残す。
大災厄後に読むと、激甚被災地で生き延びた人と、無事に済みつつそれを想う人との距離を体現した句のようにも思えてくる。
句集『夏の谿』(2012.9 かぷり)所収。
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