関悦史
ふるさとに水平線のある淑気 峯尾文世
山河や田畑の連想がつきまとう「ふるさと」という鄙びた語と、いかにも歳時記的情趣の勝った「淑気」の語との間に「水平線」が割って入る。
海に面した地方に育てば見えるのが道理だが、これを「海」と言ったら別な句となってしまう。
「水平線」には自然の景色がそのまま抽象に繋がり、永遠性を帯びる趣きがある。生活圏と隔絶し、雑多なものが捨象された遠方の清潔感が、バシャバシャ入って行けたり、海産物が取れたりしそうな「海」では消えてしまうのだ。
この清潔な抽象が、この句の語り手にとっては「ふるさと」の欠けてはならない要素なのである。
星空への憧れのような、地上の全てを離れる垂直の童心とは別の、水平の畏怖と量感と清潔に囲繞された正月。海の見えない地域で過ごす者には縁遠い性質の「淑気」が水平線に見出されている。
しかしこれはそこに根を下ろしている者からはあまり出てきそうにない視点でもある。いわば、都市生活者による審美的な目で捉え直された、一時帰省中の「ふるさと」だ。
結論的な「淑気」の生活圏的安定に一句が覆われていることから「水平線」もごく無害な美しい景観といったポジションに落ち着いてしまうことになるのだが、その非人間的なスケールは、作者の安らかな既知の審美性に収まりきらない微かな不穏さを発している気配もあり、それが句のうっすらとした筋力となっている。
句集『街のさざなみ』(2012.8 ふらんす堂)所収。
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