樋口由紀子
切腹をしたことがない腹を撫で
土橋螢 (どばし・けい) 1929~
あたりまえである。切腹は何度もするものではない。一回限りで死んでしまう。だから切腹をしたら、腹を撫ぜることなんて到底できない。もちろん、作者はわかっている。
テレビの時代劇で切腹のシーンでも見たのだろうか。振りかえってみて、自分の人生は切腹をしなければならないような事態に出合わなかったし、これからもそういうことはないだろう。テレビの作中人物のようにドラマチックではなく、とりたてていうほどのことはなかった平凡な人生だけれど、これでよかったと、ちょっと肉づきのよくなったお腹を撫でながらしみじみ思ったのだろう。
「切腹をしたことがない腹」とは、目のつけ所がおもしろい。こういうのも川柳の身体性かもしれない。見方ひとつで人はしあわせにもふしあわせにもなれる。「川柳塔」(2013年)収録。
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