2013年7月17日水曜日

●水曜日の一句〔澤田和弥〕関悦史



関悦史








正義の味方仮面のみにて裸   澤田和弥

原作も映像化作品もちゃんと見たことがないのだが、永井豪のマンガに『けっこう仮面』なる作品があり、そのヒロインがちょうどこの句のような姿をしているらしい。恐怖の進学校で過酷な体罰を振るう教師たちに制裁を加える謎のヒロイン「けっこう仮面」は、覆面とマフラー、手袋、ブーツのみを身にまとい、あとは裸なのである。

表現規制の危機は今に始まった話ではなく、七〇年代当時も作者永井豪はPTAや教育委員会からの批判にさらされたが、仮面に裸という馬鹿馬鹿しくも開放的な扮装が単なる道化ではなく、管理や規制に対して本当に正義を背負わなければならなくなるとしたら、この裸はなんとも悲壮で物悲しい。

正義のために立つとなれば、多かれ少なかれドン・キホーテ的人物と見られることは免れがたいのだが、その恍惚と不安に対し、「仮面のみにて裸」という素っ頓狂な外見でもって同調するのがこの句の作者なのだろう。自恃や含羞の裏返しとしての「裸」とも取れるし、あるいは正義のために裸になるのか、裸になりたいから正義にまで突っ走ってしまうのか、今一つ判然としない怪しげなところにこそ感応しているとも取れる。

ところで、いきなり『けっこう仮面』など連想してしまったが、この句はべつに特定の先行作品を指示する前書きの類はついていない。つまり少女ではなく男である可能性も充分あるわけである。ましてこの句には作者として「澤田和弥」の名がついている。そうでなくとも句中に性別が明示されていない以上、男である可能性は低くはない。裸を隠さないからには、なおのこと仮面だけはしっかり付けていてもらわなければ困るのだ。

この作者においては、俳句こそが裸をさらけだすために不可欠な仮面なのだろう。

(念のために言っておくと、句集にはこういう作風の句ばかりが収録されているわけではない。「青竜」「朱雀」「白虎」「玄武」という春夏秋冬に対応する霊獣の名を持つ章に混じって「修司忌」という一章が別に立てられており、全体としては鬱屈と憧憬を沈めた抒情性が際立っている。)


句集『革命前夜』(2013.7 邑書林)所収。

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