関悦史
それは晩夏放電しているポテトサラダ 中内亮玄
三橋鷹女に《ひるがほに電流かよひゐはせぬか》があるが、いかにも電気の通いそうな蔓植物への鋭敏で神経質な感応とは違い、ポテトサラダが、通電ではなく放電している。
ぼってりした白い量塊のポテトサラダの異物感が際立たせられるだけではなく、ポテトサラダが「晩夏」のいわば形象化になっているのだ。
「晩夏」の大きなエネルギーが移ろう感じと、不定形の、しかし鮮度ある量塊の「放電」との間に、作者の厚ぼったい身体性が取り込まれているといえる。
出だしの「それは」が曲者で、このナレーションが物語性を生み、作者本人をもさりげなく句中に巻き込んで、一篇の主人公にしてしまうのだが、その自意識を受け止めるポテトサラダが格好良すぎもせず、無様過ぎもせず、かといって通俗的な青春小説や恋愛小説の小道具といった無害な位置に収まるわけでもなく、「放電」の過剰を帯びて異物と化しつつも清潔感を持しているところが、生々しい若さを打ち出した句として、上手いというより的を射ている気がする。
六八六のやや重く滑らかにしなだれるリズムも、若く、だが若すぎはしない心身がもたらす倦怠感と不完全感に見合っている。
句集『蒼の麒麟騎士団』(2013.6 狐尽出版)所収。
●
電気圧力鍋を買ったんですが、箱から取り出すのも面倒で放置していました。
返信削除今晩ポテトサラダのジャガイモをそれで煮てみます。