2013年9月11日水曜日

●水曜日の一句〔柿本多映〕関悦史



関悦史








起きよ影かの広島の石段の  柿本多映

先日、外出先で不意にこの句のイメージが頭によみがえってきて(などと書くと小林秀雄じみた通俗性が漂うが)、誰のどの句だったかしばらく思い出せずにいたが、読んで間がない柿本多映句集の句だった。石段の影のように、私も句に貼りつかれてしまったようである。

この句、現下の状況に照らし合わせた政治的メッセージを担った句としてももちろん読める。「唯一の被爆国」の再度の「自爆」と、その後の混迷、無責任に対する憤りが「起きよ」の強烈な命令形となったという読み方である。過ちは繰り返された。「安らかにお眠りください」どころではない。

しかしそうしたスローガン的な作りの句に見られる軽佻、言説のみが伝わればそれで事足りてしまう浮薄さの埒外に、この句はある。

死者の霊に対して同格に呼びかけているからというだけではない。「石段」に焼き付けられた「影」という、物質とイメージの狭間に封じ込められた生の痕跡としての霊、いわば現前としての霊というものを見出し、呼び出しているからである。

今のところ生きて動いている我々も物であり、歴史の流れの中の影であり、霊である。そうした生死の次元を超える自覚をいきなり読む者に叩きつけてくるからこの句は衝撃的なのだ。つまりこの句の衝撃は認識の深度によるものであり、単に怒りのすさまじさによるものではないのである。


句集『仮生』(2013.09 現代俳句協会)所収。



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