相子智恵
退路なき颱風あはれとぞ思ふ 中原道夫
句集『百卉』(2013.8 角川書店)より。
そういえば、颱風に進路はあっても退路はない。風に押されてただ前へと進むだけで、後ろに戻ることはできないのだ。逃げることなく進むしかない颱風を「あわれ」だと言われれば、なるほど、あわれであるかもしれない。
掲句のように「颱風そのもの」を詠んだ句はあまり見たことがない。今は天気予報で気象衛星からの映像が見られるから、何の不思議もなく颱風の進路や大きさな
どがわかるが、昔は颱風にそもそも進路があることなどわからなかっただろう。颱風によってなぎ倒された草花は詠めても、気象衛星から見た「颱風そのもの」
を詠むことはできなかった。
人は天からの視点を得たことで、実際の身体としては颱風の直撃を怖れながら、同時に颱風を上空から眺めて、頭の中であわれだと思うことができるまでになった。空の下の身体と、空の上からの情報、その二つを得た現代の私たちの状況の不思議さを、改めて感じる。
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