相子智恵
洗剤の泡の向かうに稲架暮れて 玉田憲子
句集『chalaza』(2013.8 金雀枝舎)より。
台所で洗い物をしながら、シンクの前の窓から稲架をぼんやりと見ている……そんな景が浮かんできた。洗剤の半透明の泡と、夕暮れの稲架の黄金の輝き。〈洗剤の泡〉と〈稲架〉は意外な組み合わせだが、この光りあうさまはとても美しい。
序文で今井聖氏が〈予定調和の外にある、意外な、それでいてどこにでも転がっている現実〉と玉田氏の句の傾向を読んでいるが、なるほどこの句は、何も起こらない小説のような、じわじわくる面白さがある。
〈八月やギプスに残る己の香〉〈犬小屋より前脚二本良夜かな〉〈自販機の後ろの闇やちちろ鳴く〉こんな秋の句にも惹かれる。〈ギプス〉〈犬小屋〉〈自販機〉生活の中のさして美しくもないものたちが「ふと」といった感じと質感で描かれていて、それでいて「ただごと」でもない。
〈月光遍し抱かれたくなき乳房にも〉〈逢ひたくもなき初旅の小半時〉など真情を吐露する強い句も多く、それが作者の本領なのかもしれないが、洗剤の泡のような句があることで、それらのドラマティックな句がリアリティを持って響いてきた。
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