2013年10月2日水曜日

●水曜日の一句〔小笠原弘子〕関悦史



関悦史








生きる側に選ばれし身や石蕗の花   小笠原弘子

東日本大震災の句を日本中から募集し、一人一句ずつ収めたアンソロジーから。作者は仙台在住の82歳。

選ばれた者の恍惚などとは全く無縁。生きる側、死ぬ側、どちらに選ばれるのも偶然でしかなく、意味のつけようがない。

作者がどの程度の、どういう種類の被害と喪失をその身に引き受けることになったかは不明だが、震災後、落ち着きを取り戻すまでの間に、死者の多さに唖然としつつ、自分もあの時死んでいた方がよかったのではないか、なぜ生きる側に選ばれたのかという思いが幾度か湧き起こった可能性はある。

この「身や」には、どのような思いを抱こうが如何ともしがたく在る命を持て余しているようなところがある。しかしそれをあるがままに引き受けて生きようという意思も感じ取れる。いつまでも意味を問うてはいない。

石蕗の花の小さく鮮やかな黄は、その身と、意思と静かに照らし合っているようだ。だが花の周囲にいかなる光景が広がっているのかはわからない。瓦礫か。荒地か。


宮城県俳句協会編『東日本大震災句集 わたしの一句』(2013.9 宮城県俳句協会)所収。



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