相子智恵
闇汁の半分がまだ生きてゐる 澤田和弥
「嬉しきひと」(『あすてりずむ』vol.4 2013winter)より
〈闇汁〉は言わずと知れた、灯を消した室内で、めいめいが持ち寄った食べ物の名前を告げぬままに鍋に投じ、煮えた頃に暗中模索し、すくい上げて食べる遊びである。明治・大正期の書生たちが盛んに行ったといい、子規も「ホトトギス」発行所でしばしば楽しんだという。
『世界大百科事典』(第二版)では、闇汁のような食べ方を〈飲食遊戯ないしは遊戯的共食〉と解説しており、衣食が充足された状況下では必ず起こるものだという。
たしかに闇汁は、旬の食べ物を味わったり、栄養を体に取り入れるための食事ではなく、単純に遊戯だ。それは子どもの頃に「食べ物で遊んではいけません」と叱られた道徳観念と対極にある。その後ろめたさと、だからこその背徳的な快楽を、掲句は気味の悪さのなかに思い出させる。
〈半分がまだ生きてゐる〉は、投じた食べ物であろう。暗闇の中で、半死半生でうごめく謎の食材の気味の悪さと、生きたままに煮えていく残酷さ。しかもそれが食べる側の「ただの遊び」だから、食材にとっては二重に残酷である。
しかしそれでも〈まだ生きてゐる〉という食材側の妙な生命力が光っていて、不屈の笑いのようなものを見せつける。不気味ながらに、それがなんとも面白いのだ。
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