樋口由紀子
栗ほじるレジスタンスは置き忘れ
山下繁郎 (やました・しげろう) 1932~
「レジスタンス」、そういう言葉があった。その言葉が生き生きしている時代が確かにあったなと思った。
栗はおいしい。が、食べにくい。こたつで丸くなって(こたつとはどこにも書いてないが)、小さな栗をほじくって食べている自分の姿がなんだかいじましくなったのだろう。昔はもうちょっと夢や希望もあって、こころざしなんかもあったのにと。栗をほじくっている姿が今の自分のすべてを表わし、全部に通じているように思って、感傷的になったのだろう。
掲句が作られた時代より今はもっと「レジスタンス」は死語になりつつある。この言葉には昔は敬意のようなものが含まれていたように思う。しかし、いつの間にか、時代遅れの、現実を直視できない、いまさらの感がある。社会も自分も大切なものを置き去りにして、どこに向かおうとしているのか。『旗旈(きりゅう)』(啓天出版社刊 1991年)所収。
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